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昔ばなしの罠

出先の古本屋で買った『差別の民俗学』という本をぱらぱらと読む。

ひとつ驚いたことがあった。

朝鮮の「野鼠の嫁探し」という民話にまつわる話だ。

むかし、朝鮮のあるところに野鼠の老夫婦がいた。

年頃になった息子のために嫁をと思うが、同じ野鼠仲間では面白くない。

力のある一族と結婚させたいと、「天」や「雲」「風」に頼むが

次々と「わたしらなんてとてもとても。あちらのほうがずっと

立派でっせ」と体よく断られてしまう。

最後は川べりの石弥勒に「うちのかわいい息子と結婚してくれ」と頼むが

「確かに自分は一歩も動かずに千年以上もここに立っている。

なのに野鼠が足下の土を掘るのでもう倒れそうだ。

野鼠さんの力にはとうてい及びませんよ」と、またも断られる。

野鼠夫婦は「どんなに力のある一族でもわが一族にかなうものは

いないのか」と驚きながらも納得して、野鼠の娘と結婚させた。

・・・という話らしい。

もぐらバージョンもあるらしいが、基本は同じ話で

これは「賤民」や「平民」の上昇志向を断念させるための

終身教育説話だとしている。

昔ばなしを「民衆の生活のなかから生まれた、民衆のための

物語などと過信するのは危険であ」り、

「いま残って伝承されているということは、ある程度まで、

これまでの支配階級によって去勢され、歪曲され、

無害化されているからだと思ってよい」とある。

ここまで読んで、ふと思い出したのだ。

娘が幼稚園に入園してはじめての「出し物」が

「ねずみのチュー子ちゃん」が主人公の物語だった。

「チューチューのねずみチュー子ちゃんを

どこへお嫁にやろうかな」という歌まで覚えている。

息子ではなく娘のチュー子ちゃんが主人公で、

確かに両親ねずみが「立派なおむこさん」を探し歩いていた。

当時のわたしは、何か違和感を感じながら、

その違和感を言葉にできなかった。

「たかが子どもの出し物にケチつけるのも」という気持ちもあったと思う。

しかし、昔ばなしというのは「そういうもの」だったのね。

それにしても、浄土真宗のお寺が経営する幼稚園が

「身のほどをわきまえる」ことをこうして教えこむとは。

いや、浄土真宗だからなのか?

あー、わたしは恥ずかしいほど何も知らない。

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