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2012-02

部落差別は「特別な差別」なのか? 14

 

2月1日以来、亀岡市教育委員会からの連絡はない。

わたしが求めた説明、撤回、謝罪もせず、

向こうが求めてきた「お話合い」の調整もせず。

今後の展開はリアルタイムでオープンにしていく。

亀岡市教育委員会は、自分たちが出した文書や

職員の発言に責任をもってもらいたい。

 

 

 

そして、わたしの胸には今もあの女性の

「部落差別はほかの差別とは違う、絶対に許せない差別なんです」という

強い口調が響いている。

この間の”騒ぎ”の間もずっとそのことを考えていた。

部落差別は、今もはっきりと「ある」。

それがどんなに日常にさり気なく、しかし強固に存在し、

どれほど決定的にひとを傷つけるかを見聞きしてきた。

本当に、ほんのひと言で、いや仕草ひとつで、

ひとの心は死ぬに等しいほどの打撃を受ける。

しかしそれは「ほかの差別」にも共通している。

比べられるものじゃないし、比べるものでもないだろう。

「部落差別はほかの差別とは違う」と感じたり主張したりするのは

そのひとの自由だが、

それをひとに押し付けるのは違うだろう。

それでも「これは言っておきたい」「伝えたい」ということがあるなら、

真っすぐそう言えばいい。

「えせ同和行為だ」などと中傷(としか思えない)したり、

「問題になっている」と思わせぶりに触れ回ったりせず、

本人に指摘すればいい。

そこから新たな対話が始まるのではないのか。

 

このテーマについては、もう少し時間をかけて考えていきたい。

いったんここで締めます。

 

 

 

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部落差別は「特別な差別」なのか? 13

この連載を始めて以来、

新しい記事を書く前にアクセス解析をしている。

このブログを閲覧している地域、使用されているブラウザ、

滞在時間など、けっこう細かいところまでわかる。

昨日、もっともアクセスが多かったのは最新記事の「12」であった。

それはわかる。

次に多かったのが「8」である。

わたしとしては、この理不尽な事態に対する心の叫びが凝縮された「11」

じっくり読んでいただきたいのだけれど。

さて、亀岡市教育委員会の竹岡教育長から届いた返信にはこうある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日まで、人権教育講座をはじめ他の講演会における参加者等からの

ご意見については、講師と担当職員がお会いして、講師との信頼関係の中で

相互理解をもって、口頭確認という形で進めてきております。

今回もお話合いをさせていただきたいと考えて、担当職員がご連絡申し上げましたが、

お会いすることができず、社納さんのご要望に従い、亀岡市教育委員会名での文書を

お送りさせていただいたところです。

今現在も、社納さんとお会いし、お話合いをさせていただきたいという考えに

変わりはございませんので、社納さんも今一度ご検討いただきたいと存じます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「5」で書いたように、担当職員すなわち人権教育課の課長が

「お話合い」を求めてきたのは、たまたまわたしが電話をかけた時である。

人がかけた電話に乗っかるようにして、理由も述べず呼び出そうとしたのである。

居丈高で、とても失礼な態度であった。

その後もとても「信頼関係」などもてるような対応ではなかった。

そうした記録をすべて添付したうえで抗議をしたにも関わらず、

しゃあしゃあと「講師との信頼関係の中で相互理解をもって」と書いてくる。

だから、それはもうとっくにありませんから。

そもそも「相互理解」って何だ。

自分たちのやり方を一方的に押し付けてくるだけではないか。

「口頭確認」なら、

電話口で「ここんところが問題だと言われてるんですけど」

「いや、それはですね」とやりとりすればいいではないか。

電話でいくら「どこが問題だと言われているのか教えてください」と尋ねても

ガンとして答えず、あくまで呼び出そうとする。

「口頭確認」ではなく、

「呼び出す」ことに意味があるとしか思えない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なお、社納さんとお会いする日時・場所等については、

ご相談させていただきたいと考えています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とあるように、もう「お話合い」することは決まっているようだ。

私の意思に関係なく。

そしてその窓口は、あの人権教育課の課長だというのだ。

私の気持ちに関係なく。

ここで「恐ろしい」と書いたら、

「人権教育に対する偏見を助長したことが問題であると考えます」と言われるのか。

誰か助けてください。

まじで。

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

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部落差別は「特別な差別」なのか? 12

わたしからの質問は21項目(16番が重複している)だが、

亀岡市教育委員会/竹岡教育長からの回答は

わたしの質問のほとんどをスルーしたうえで

相も変わらず「お話合い」を求めてくるものだった。

全文を記載する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
平成24年1月30日
フリーライター
社納 葉子 様

亀岡市教育委員会
教育長 竹岡 敏

人権教育講座の講演内容について

平成24年1月8日付けの社納さんからの文書を受け取り、

1月末までに回答をとのご要望でございましたので、

お返事をさせていただきます。
亀岡市教育委員会として、社納さんに講演を依頼しましたのは、
前年度の亀岡市女性集会における助言者としての実績と
主催者との交流の中で信頼を寄せていたことが大きな理由です。
そして、過去に「ライターが出会った部落問題」というテーマで
講演されている豊中市の人権文化のまちづくり講座の講演要旨を拝見し、
今回のテーマで、人権教育講座の講師をお願いしたものです。
社納さんへのご連絡が11月になったことにつきましては、
この時期に、市民の相談を受けた相談窓口から、講座について問い合わせがあり、
講座開催から時間は経過しておりましたが、主催者として、
人権教育事業としての今回の講座にかかる課題等を確認し、
相談者へも社納さんの真意をお伝えすべきだと考えたことによるものです。
また、教育委員会としましても、講座当日のまとめ方などについて、
運営にかかる主催者の課題として受け止めており、
今後の事業推進に活かしてまいりたいと考えているところです。
今日まで、人権教育講座をはじめ他の講演会における参加者等からのご意見については、
講師と担当職員がお会いして、講師との信頼関係の中で相互理解をもって、
口頭確認という形で進めてきております。
今回もお話合いをさせていただきたいと考えて、担当職員がご連絡申し上げましたが、
お会いすることができず、社納さんのご要望に従い、
亀岡市教育委員会名での文書を送らせていただいたところです。
今現在も、社納さんとお会いし、お話合いをしていきたいという考えに
変わりはございませんので、社納さんも今一度ご検討いただきたいと存じます。
なお、社納さんとお会いする日時・場所等については、
ご相談させていただきたいと考えています。
また今後のご連絡の窓口は、改めて、○○○○人権教育課課長とさせていただきますので、
よろしくお願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

驚くべきことに、話が変わっている。

11月に「市民からの相談を受けた」とは初耳だ。

先述した通り、当初、人権教育課の課長は

「関係機関から指摘があり」と口走り、

わたしが確認すると、「教育委員会内で」と言い直した。

それが今回は「市民」から相談があったという。

「前年度の亀岡市女性集会の助言者」とは、

いくつかの分科会のうち、デートDVをテーマにした分科会で

会の進行や、参加者の意見や疑問の整理役をした時のことだ。

皮肉なことに、この仕事は件の女性の関係者から依頼を受けたものだった。

「主催者との交流」とは何のことかわからないが、

分科会でご一緒した地元の女性グループと

終了後にお茶を飲んだことを指しているのかもしれない。

明るく、話をしていて楽しい女性たちだった。

だからわたしのなかで亀岡市の印象はとてもよく、

人権教育講座の依頼も引き受けたのだった。

いろいろ思い出すと、あらためて今の状況を「しょうもない」と思う。

豊中市の講座では、今回と同じような内容の話をした。

この講座以降に経験し考えたことを付け加えてはいるが、

「部落問題」に対するわたしの向き合い方は基本的には変わっていない。

「自分は部落出身者ではない。少なくともその前提で生きてきた。

部落差別を受ける側の当事者ではないが、部落問題はわたし自身の問題だ。

なぜなら、自分が感じて、時には深く傷ついてきた女性差別も

根っこはつながっているはずだから。

そして差別する側、される側は固定していない。

場面や状況によって簡単に入れ替わる。

そこに気づけば、さらに一歩、考えも関係性も深まるのではないか。

あらゆる差別のどこがどうつながっているのか、

あるいはつながっていない(分断されている)かを

ひとと出会うなかで考えてきたし、これからも考えていきたい」

ということだ。

亀岡での講演でもそう話した。

 

つづく。

 

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部落差別は「特別な差別」なのか? 11

私の抗議と質問に対し、亀岡市教育委員会から

竹岡敏教育長の名で、1月30日付の「回答」が送られてきた。

その内容に先だって、わたしからの質問をすべて記載する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

質問状

亀岡市教育委員会からの「人権教育講座の講演内容について」

および「講師の課題と講演内容について」の文書に関して質問します。

1.そもそも、どのような理由で私に講演を依頼されたのですか?

2.私に講演を依頼される前に、亀岡市教育委員会では私が部落問題
に関して書いたものを読まれましたか? 読まれたのであれば、
どの記事ですか? どのような感想をもたれましたか?

3.私は事前にテーマやレジュメを送っておりますが、亀岡市教育委
員会からの連絡はすべてメールで行われ、内容についても事前の
打ち合わせを設定しなかったにもかかわらず、今になって私が講
師を引き受けたことを私自身に問うておられます。主催者として
の講師に対する責任をどのようにお考えですか?

4.「平成23年7月28日」付の礼状(23教人第1037号)に
て、竹岡敏教育長は講演の内容に具体的に触れながら礼を述べて
くださっています。その後、どのような経緯があって今回のよう
な見解に至られたのでしょうか?

5.なぜ、講演後4ヶ月近くも「問題」を放置されていたのですか?

6.講演後、4ヶ月近く何の連絡もなかったにも関わらず、11月9
日に別件でこちらから人権教育課の○○課長に連絡をとった際
に、「社納さんの講演に対して関係機関から問題提起があり、ま
さに昨日、教育委員会内で会議をもったばかりです。時間をつ
くってこちらに来ていただきたい」と言われました。「具体的な
内容を教えてほしい」とお願いしましたが、内容は一切言われ
ず、ただ「来てほしい」の一点張りでした。再三お願いして、よ
うやく文書で内容を提示するという約束をいただきましたが、そ
の際に「まだ振り返りや整理をしていないので、文書は時間がか
かる」と言われました。教育委員会内で振り返りや整理もできて
いない、つまり具体的な内容を整理して提示できない状況で、電
話1本で人を呼びつけるというのはあまりに非常識かつ失礼だと
考えます。なぜこのような対応をされるのか、ご説明ください。

7.11月9日に「文書を出す」と約束されたにも関わらず、受け
取ったのは12月29日午後でした。内容は、私の講演録も添付
されず、私の話した内容を故意にねじ曲げているとしか思えない
ものです。この文書は亀岡市教育委員会総意のもとで作成された
ものでしょうか。違うのであれば、作成された部署または責任者
を教えてください。また、文書を作成されるにあたっては私の講
演録を正確に文字起こしをしたものをもとにされていると思いま
す。そのデータを提示してください。

8.「人権教育講座の講演内容について」の文書のなかにもあります
ように、講演後、講座参加者から私に対し「エセ同和行為であ
る」との指摘がありました。その方が亀岡市役所あるいは亀岡市
教育委員会に在籍されていることは確認済みです。また、その指
摘を受けて今回の「問題提起」がおこなわれているとのことです
ので、亀岡市教育委員会として、私の言動のどこが「エセ同和行
為」であるのかを教えてください。

9.「講師の課題と講演内容について」①に関して
a.「被差別当事者からの信頼をなくす事象」とは具体的にどのような事
象のことですか?

b.「自らの行為や発言が、被差別当事者を傷つけたという経験」とは、
具体的にどのような経験のことですか?

10.②に関して
a.「一面的な体験や事例がそのすべてであるかのような内容」とありま
すが、具体的にどこがそのような内容なのですか?

b.「被差別部落に対して「やっぱり」という発言を繰り返すなど、講座
参加者に対し、「部落」に対するマイナスイメージや偏見を流布す
るような講演内容であった」とありますが、具体的にどこでどのよ
うに「部落」に対するマイナスイメージや偏見を流布しているので
しょうか。

11.③に関して
a.「社納さんの行為を不当だと論じた地域の女性側に問題があるかのよ
うな発言」とありますが、「地域の女性」とは誰のことでしょう
か。

b.「被差別当事者を傷つけたにもかかわらず、自己を正当化する表現の
構図」とありますが、具体的に誰をどのように傷つけ、どのように
自己を正当化しているのでしょうか。

12.④に関して
a.「社納さんの親御さんが「典型的な結婚差別」や障害者差別者であっ
たと告白されています」とありますが、私は両親を「障害者差別
者」であると「告白」などしておりません。なにをもって両親を
「障害者差別者」と断じられるのでしょうか。そのように断じるに
あたって、事実関係を確認されたのでしょうか。

b.「被差別部落当事者や障害者、在日コリアンに関わることの「しんど
さ」のみを強調する内容となっており」とありますが、どこで「し
んどさ」のみを強調しているのでしょうか。

13.⑤に関して
a.「被差別当事者を観察」とありますが、私がどこで「被差別当事
者を観察する」と述べているのでしょうか。

b.「被差別当事者こそあらゆる困難をつくり出す要因があるとする
内容となっている」とありますが、具体的にどこでそのように述べ
ているのでしょうか。

14.「平成23年7月28日付」の礼状には講座参加者のアンケー
ト4通も同封されておりました。いずれも私が伝えたかったことを
的確に受け取ってくださっています。亀岡市教育委員会はこうした
声をどう理解しているのでしょうか。私の講演に「問題」があると
すれば、当日の参加者に対して主催者としてどのように責任をと
られるのでしょうか。

15.「主催者として、社納さんとお会いし、ご意見やお考えをお聞
きしたいと考えています」とのことですが、私はすでに講演で自分
や家族のプライベートな体験の紹介を通じて、自分の考えを述べて
おります。これ以上、具体的にどのような私の「意見」や「考え」
をお聞きになりたいのですか? お聞きになられて、どのような形
で「今後の人権教育」に生かされるのでしょうか。

16.「主催者として、社納さんとお会いし、ご意見やお考えをお聞
きしたいと考えています」とのことですが、「主催者」とは誰で
しょうか。その場所をどこに設定され、どなたが臨まれるのでしょ
うか。そのような前例はあるのでしょうか。前例がある場合、どの
ような形式で催され、その結果がどのように人権教育に生かされた
のでしょうか。

16.私はこれまでに約30カ所で講演をおこなってきましたが、依
頼先から、具体的な内容も明かさないまま電話1本で呼びつけよう
とされたのは初めてです。亀岡市教育委員会では、自らが依頼した
講師に対し、関係機関から問題とする指摘があればその内容を整理
しないまま呼びつけるということをこれまでにもおこなってこられ
たのでしょうか。どのような見解をおもちなのか、ご説明くださ
い。

17.平成23年12月28日付で亀岡市教育委員会から私に対して
出された文書(添付⑤)の内容は、講演の一部を意図的にねじ曲
げ、一方的に人を「差別事象を起こした人間」と決めつけ、さらに
は紹介事例に登場しただけの私人を「障害者差別者」と断じる不当
かつ差別的な文書であると受け止めております。ここまで個人を攻
撃する亀岡市教育委員会の法的権限と、このような姿勢が人権教育
にどのよう寄与するのかをご説明ください。
18.「人権教育講座の講演内容について」の文書において、講座参
加者から「エセ同和行為である」との指摘や、「具体的な変化や考
えの持ち方・提起」についての意見に対して、主催者としてその場
で私の講演内容の問題点を指摘できなかったとし、「その事実は事
実と受け止め」とありますが、亀岡市教育委員会としてどの部分を

「事実」として受け止められたのでしょうか。「エセ同和行為」「具
体的な変化や考えの持ち方・提起」を「事実」として受け止められ
たのであれば、「エセ同和行為」であると判断された根拠をご説明
ください。また、「具体的な変化や考えの持ち方・提起」に「問
題」があることを「事実」として受け止められたのであれば、どの
ような内容であれば「問題」とされなかったのかをご説明くださ
い。
私の「問題点」をその場で指摘されなかったことを「事実」とし
受け止められたのであれば、なぜその場で指摘できなかったのかを
ご説明ください。その場だけでなく、公式な礼状とアンケートを後
日送られており、時間は十分にあったはずです。また、先述した通
り、私は自分に求められた役割を果たした思いでおりました。法的
にも義務を果たしております。6ヶ月近くも経過した後に「問題が
あった」と一方的に決めつけられることはとうてい納得できません
のでご説明ください。

19.18の質問に関連しますが、私自身は講演でさまざまな事例と
向き合うなかで苦しいながらも考え続けてきたことをお話ししまし
た。参加者のアンケートでもそのことに共感してくださったこと
が書かれています。亀岡市教育委員会はそれでも私の講演に「問
題」があるとされているわけですが、亀岡市教育委員会が求める
人権教育の「成果」とは、誰がどのように判断されるのでしょう
か。その「基準」はどこにあるのでしょうか。

私の講演によって「部落」に対するマイナスイメージや偏見が流布されたと誰がどのよ
うに判断されるのでしょうか。

20.今回の亀岡市教育委員会の行動は行政機関としての役割を逸脱
しており、人権侵害の可能性も大であると考えておりますが、亀岡
市教育委員会はどのようにお考えなのでしょうか。

質問は以上です。講演からすでに7ヶ月が経過しようとしており、

○○課長が「文書を出す」とお約束されてからも2ヶ月が経過しております。

今回の文書に関して、亀岡市教育委員会としては十分に整理され、

確信をもって出されたことと思います。

いたずらに長引くことは望んでおりませんので、

1月末までにご回答いただきますよう、よろしくお願いいたします。
万が一、1月末までのご回答が無理なのであれば、

その理由といつまでにいただけるのかをお知らせください。

また教育委員会内での整理や今回の文書作成に際して

使用された講演の文字データだけでも先にお送りくださいますよう、お願いいたします。

また、ひとつひとつの質問項目に対して具体的に答えていただくよう、

お願いいたします。

今回の件が亀岡市教育委員会から始められたことである以上、

最後まで責任をもって対処されることを求めます。

繰り返しになりますが、文書は必ず「正式な文書」として、

また「竹岡教育長」様名義にてお出しください。

私は、行政機関である亀岡市教育委員会から私にあてて送られた文書への

応答として今回の問い合わせをおこなっております。

責任の所在を明らかにすることは今後の進捗におきましても大変重要ですので、

くれぐれもよろしくお願いいたします。

以上。

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部落差別は「特別な差別」なのか? 10

悪意に満ちた「講師の課題と講演内容について」を

何度か読み返すうちに違和感がどんどん強まってきた。

今までのやりとりのなかでは出てこなかった、

「マイノリティ青年」といった奇妙な表現や独特なクセのある文章。

まるでわたしが部落差別事件を起こしたかのように決めつけたうえに

自分たちから講演依頼をしておいて「なぜ引き受けたのか」と問うてくる。

わたしの両親を「障害者差別者」と決めつける。

講演内容を具体的に示さないまま、「問題だ」と断定する荒っぽさ。

わたしは行政のひとたちが文書を作成する際

一言一句にどれだけ神経をとがらせるか、

一緒に仕事をした経験からよく知っている。

しかしこの文書は、文章としての体すらなしていない。

講演の録音を聴いてくれた部落解放運動関係者を再び訪ね、読んでもらった。

「行政が出す文書とはとても思えない。

運動体でもこんな文書は出さない。

こんな理屈が世間に通用するわけない。

いやー・・・ちょっと信じられへんわ」ということだった。

この関係者に限らず、この文書を読んでもらったひとはみな

「相手にする価値はない。

社納さんがしんどい思いをするだけだから、

受け流したほうがいい」という意見だった。

わたしだって好き好んで対応しているわけではない。

何を言っても耳を貸さず、「ご意見やお考えをお聞きしたい」と迫ってくるのだ。

「とにかく社納さんに”自分の認識が足りなかった。

勉強不足で申し訳なかった”と謝らせたいんでしょう。

そうとしか思えない」と言ったひとも何人かいた。

それが事実かどうかはともかく、

第三者にそう思われること自体、

亀岡市教育委員会や人権教育そのものにとって

大きなマイナスなのではないか。

とにかく、わたしは亀岡市教育委員会と”面談”する気などない。

さらに仮にも教育委員会が一般市民を「差別者」扱いすることや

ひとの話を根拠も示さず「えせ同和行為」と決めつけることを受け流せなかった。

わたしは講演依頼から始まった亀岡市教育委員会人権教育課とのやりとりの経過や

メールのプリントアウト、これまで人権教育課から送られてきた文書や

講演に対する礼状やアンケートのコピーなどを添えて、

亀岡市教育委員会竹岡敏教育長にあてた抗議文と質問状を作成した。

抗議文を記載する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2012年1月8日
亀岡市教育委員会
教育長 竹岡 敏 様
フリーライター
社納 葉子

前略

2011年7月12日に私が講師を務めました「人権教育講座」の内容につきまして、

2011年12月29日に「亀岡市教育委員会」からの文書を受け取りました。(添付⑤)

私の講演につきましては、

平成23年7月28日付で竹岡敏教育長名義での礼状をいただきました。

その際、参加者のアンケートも添付いただき、概ね好評をいただいたと安堵しておりました。(添付⑥)
ところが講演から3ヶ月以上も経過した同年11月9日に突然、

人権教育課の○○○○課長より「社納さんの講演に問題があるとの指摘が関係機関からあり、

教育委員会として昨日ちょうど会議をもったところです。時間をつくって、

こちらまで来てほしい」との申し出があったのを皮切りに、

これまでさまざまな経緯がありました。
(添付⑦)

私の講演内容に「問題がある」とのことでしたが、

○○課長は今回の文書で示されるまでは何度お願いしても

一切「問題」の内容を明らかにされませんでした。

再三「まずは文書で”問題”の内容を提示してほしい」と求め、

先述の通り12月29日に受け取ったのが添付⑤の文書です。

しかしながら、文書に回答先が示されておらず、

どのように対応したものか困惑しております。

文書が「亀岡市教育委員会」名義であること、

これまでの経緯から○○課長の対応に大きな不信を抱いていること、

また竹岡教育長様名義の公式な礼状を受け取っていることから、

今後は亀岡市教育委員会を代表する教育長様を

この件のご連絡先とさせていただきますようお願いする次第です。
さて、今回受け取った文書ですが、その内容が理解しかねるものでであり、

あらためてこちらからご確認させていただきたいことがございます。

別紙の質問状にお答えいただきますようお願いいたします。

質問に先立ちまして、3点を確認させていただきます。

まず、問題提起されるのであれば、

私の講演内容を一言一句もらさず文字化したものを提示し、

具体的にどの部分にどのような問題があるのかを示されるのが相当であると考えます。

今回の文書では、ただ特定の方が聞いた印象だけが列挙されており、

回答のしようがございません。

さらに、事実とは大きく異なることが

あたかも事実であるかのように書かれている部分もあります。

あえて真意をねじ曲げたとしか思えないものが

「事実」として流布することは私の今後の仕事にも差し支えます。

今後の対応によっては法的措置も視野に入れざるを得ません。

現在、部落解放運動に長年携わり、

差別問題について熟知している方や法律の専門家に相談にのっていただいております。

最も事実と異なり、私が承服しかねる点は、

私の両親を「障害者差別者」と名指しておられることです。
私は講演で両親を「障害者差別者」だとは申しておりません。

実際、両親はそのような言動は一切おこなっておりません。

行政機関が事実関係も確認せず、

個人を「障害者差別者」と名指すことがあってもよいものでしょうか。

今回送ってこられた文書に関しては全面的に異議を申し立てますが、

特にこの件に関しては厳重に抗議し、即時撤回、謝罪を求めます。

別紙の質問に速やかにご回答ください。

電話での連絡は一切お断りいたします。

平成23年7月28日付で正式な礼状(23教人第1037号)を受け取っており、

その時点で私の役目は果たしたと認識しておりました。

これまでも人権教育課の○○課長には

「教育委員会として正式な文書を出していただきたい」旨を繰り返し申し上げてきましたが、

今後も公式文書での回答、連絡を求めます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この経過を教育長自ら容認しているとは思えなかった。

いや、思いたくなかった。

教育長に届くよう、祈るような思いで

1月8日、教育長あてに配達証明付で送った。

長引くことはまったく望んでいないので、

1月末までに回答をと書き添えた。

 

つづく。

 

 

 

 

 

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部落差別は「特別な差別」なのか? 9

12月半ば過ぎに送るといわれていた文書は、

12月28日付で翌29日に速達で届いた。

あいさつ文の後、こう書かれていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

当日、会場の講座参加者から講師に対し、

「エセ同和行為である」との指摘、

「具体的な変化や考えの持ち方・提起」について意見があったにもかかわらず、

私どもも、その場で社納さんの講演内容の問題点を指摘することができませんでした。

しかしながら、その事実は事実として受け止め、

遅ればせながら今後の人権教育を進めていくうえで大変重要であると考え、

改めて問題点を別紙のとおり整理いたしましたので、

内容をご確認いただきたいと存じます。

主催者として、社納さんとお会いし、ご意見やお考えをお聞きしたいと

考えていますので、ご多忙のこととは存じますが、

どうぞよろしくお願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先述したように、

講演のなかで話したわたしの言動を「エセ同和行為」と決めつけ、

「社納さんの具体的な変化がわからなかった」と

私にとっては意味不明なことを述べたのが

教育委員会に所属する人物であることは

女性の話からわかっている。

また、教育委員会はわざわざその指摘を持ち出し、

教育委員会として受け止めるという。

ちなみにえせ同和行為は、法務省のホームページにこう定義されている。

一部引用する。

「同和問題はこわい問題である」という人々の誤った意識に乗じ,

例えば,同和問題に対する理解が足りないなどという理由で

難癖を付けて高額の書籍を売りつ けるなど,

同和問題を口実にして,会社・個人や官公署などに

不当な利益や義務のないことを求める行為を指します。

えせ同和行為は,国民に同和問題に関する 誤った意識を植えつける大きな原因となっています。

また,えせ同和行為の横行は,適正な行政推進の障害となるものであり,

このようなえせ同和行為に対し, 政府として一体的にその排除を推進しています。

引用ここまで。

亀岡市教育委員会はえせ同和行為の定義を理解しているのだろうか。

あの職員の指摘をどう「受け止め」、「今後の人権教育」を進めていくというのか。

さらに「講師の課題と講演内容について」と題された2枚目を読み、

わたしはしばらく動けなかった。

ここに全文を記載する。

・・・・・・・・・・・・・・・・

講師の課題と講演について

[何が問題であったのか]

①講演の中で語られたように、これまでに、取材という「仕事」の領域で、

被差別当事者からの信頼をなくす事象を起こされていたこと、および自らの

行為や発言が、被差別当事者を傷つけたという経験をしておられることを

事前にお伝えいただかず、部落差別問題を扱う公的な講演をお引き受けに

なったのはなぜでしょうか。

②社納さんご自身の具体的な体験を通してご講演いただきましたが、一面的な

体験や事例がそのすべてであるかのような内容であり、特に被差別部落について

「やっぱり」という発言を繰り返すなど、講座参加者に対し、「部落」に対する

マイナスイメージや偏見を流布するような講演内容であったことが問題と考えます。

③大阪における取材活動において、社納さんご自身が被差別当事者からの信頼を

失った事例の中で「差別の痛みを突きつけられてどのようにすれば受け入れられる

か・・本当に難しい」と語っておられます。一方、「発信する側」の「正論の述べ方

に工夫が必要である」とし、社納さんの行為を不当だと論じた地域の女性側に問題が

あるかのような発言をされています。被差別当事者を傷つけたにもかかわらず、自己を

正当化する表現の構図であり、整合が図られていないことに問題があると考えます。

④社納さんの親御さんが「典型的な結婚差別」や障害者差別者であったと告白されています。

また、ご自身がシングルマザー当事者であることや、職場等におけるセクハラ発言の場で

マイノリティ青年に対しその行為を糾した体験などを話されています。しかしながら、それらの

まとめでは、被差別当事者や障害者、在日コリアンに関わることの「しんどさ」のみを強調する

内容となっており、社納さんご自身の具体的な気持ちや行動の変化、またその後その事例が

どのように解決したのかがわからない講演内容であったことが問題と考えます。

⑤社納さんご自身は、被差別当事者を「観察」、連携して生きているとしながら、

講演の中では、被差別当事者にこそ「あらゆる困難」をつくり出す要因があるとする

内容となっていることが問題であると考えます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話していないことが「話されたこと」にされている。

事実でないことが「事実」とされている。

人の話をここまでねじ曲げられるのか。

先にも紹介したが、講演当日に記事を書いてくれた

亀岡市議の酒井あきこさんのブログにはこう紹介されている。

「わたしが出会った部落問題:人権教育講座②(聴講メモ)」

念のため、わたしと酒井さんに面識はなかった。

講演後、件の女性がひとしきり話をしていった後に声をかけてくれ、

名刺交換をした。

講演当日にフラットな視点で記録してくれた酒井さんに

今となっては心から感謝したい。

 

つづく。

 

 

 

 

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部落差別は「特別な差別」なのか? 8

さらに「部落に対する差別や偏見を助長すると思われる表現もない」と言われた。

「だからこそ、社納さんの問いかけに対して

きちんと答えられないのではないか。

それにしても自分にはまったく理解できない」というのがそのひとの感想だった。

確かに明白な差別表現やえせ同和行為があれば、

とっくに具体的な指摘をしてきただろう。

「誤解を招きかねない表現」だったとしても、

それをきちんと伝えてくれば

わたしも考えようがあるし、向き合う気持ちにもなれる。

だからこそ個人的に件の女性に会いに出かけたのだ。

その後、さらに別の事実を知ることになる。

女性の関係者が

「社納さんの講演が亀岡で問題になっている」とあちこちで言っていた。

ここでも具体的な内容はあきらかにしなかったという。

たまたま近くにいた人が聞き、

言いにくそうに伝えてくれたので知ることができた。

その時期を確認すると、

留守番電話に女性からの「本を送り返してほしい」という

メッセージが入っていた頃だった。

その直後から教育委員会とのやりとりが始まっている。

何がなんだかわからない。

しかし、教育委員会にしろ、女性の関係者にしろ、

わたしと正面から向き合おうとせず、

わたしの気持ちや立場をまったく無視したうえに、

生活や仕事をかき乱しているのは確かだ。

かといって、女性の関係者に連絡をとる気にはなれなかった。

どこかの組織として動くならともかく、

いわば個人が人の悪口を触れ回るようなものなのだから

よほどの支障がないかぎり、ほうっておくしかない。

聞かされた人が好きなように判断してくれればいいし、それしかない。

しかし亀岡市教育委員会は、

相変わらず「話し合い」を求めてきている。

12月29日、ついに教育委員会のいう「問題」を羅列した文書が届いた。

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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部落差別は「特別な差別」なのか? 7

11月30日、わたしは亀岡市教育委員会人権教育課に

抗議のメールを送ることにした。

あまりの非常識さに、それが組織全体の意向だとは思えなかったからである。

これまでのメールは人権教育課のアドレスに

個人名のタイトルをつけて送信していた。

今度は「亀岡市教育委員会人権教育課のみなさま」とした。

そして、何ヶ月も連絡がなかったにも関わらず

今になって、また問題点を明らかにしないままに

「話し合い」を求めてくることや、

電話をしないでほしいと伝えているのに電話をかけてくる、

「すぐに送る」と約束したものを2週間以上放置して謝罪もないなど、

あまりにも非常識かつ失礼ではないかと書いた。

そして、わたしの講演内容に関して亀岡市教育委員会内で

問題とされているとのことなので、

どこが問題なのかを具体的に文書で示してほしい。

しかしそれを受けて何をどう考えていくかはわたしが判断することであり、

こうした対応をする亀岡市教育委員会とともに

課長のいうような「よりよい方向に向けて一緒に考える」気持ちには

とうていなれないと伝えた。

最後に、この件は教育委員会全体で共有し、

今後のやりとりは「亀岡市教育委員会」の名でおこなってほしいと書いた。

 

12月6日、返信が届いた。

内容は以下の通りである。

・・・・・・・・・・・・・・・

社納葉子さま

社納さんにご講演いただいた講座について、

主催者として課題を整理し、今後の事業に生かしたいと考えています。

その過程で、社納さんのご講演内容につきましても、

主催者として確認しておきたいことなどがあり、

ご連絡させていただいたところです。

内容につきましては、教育委員会内で整理中であり、

今月半ば過ぎに文書を送らせていただく準備をしておりますので、

ご連絡申し上げます。

亀岡市教育委員会

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

言葉遣いはていねいでも、主張は変わっていない。

しかもこの時点に至ってもまだ「整理中」で、

何を「確認」したいのかも言えない。

わたしはこれまで20回近く同じようなテーマで

行政や教育機関からの依頼を受けて講演をしてきたが、

こんなことを言ってきたところは初めてだった。

わたしは送られてきた講演の音声データを

部落解放運動関係者に聴いてもらった。

30年以上、運動に携わってきたひとだ。

「差別発言も、えせ同和行為も、ない」とのことだった。

 

つづく。

 

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部落差別は「特別な差別」なのか? 6

わたしも向こうの要求を受け入れるわけにはいかなかった。

なぜ、理由も明らかにされないまま、

電話1本で呼び出されなければならないのだ。

怒りで血の気が引くのを感じながら

「冷静に」と自分に言い聞かせながら食い下がった。

「講演でわたしが十分に話しきれていないと感じられたのであれば、

なおさら今度お話する時にはきちんと準備しておきたいんです。

そのためにも事前にどこが問題だとされているのかを教えていただかないと困ります」

とにかく「話し合いを」と繰り返す相手に

わたしもこの台詞を繰り返して応じた。

やがて課長は一瞬黙った後、仕方ないという口調で言った。

「わかりました。

今日は講演の担当者が休んでいるので、

テープは明日確認してできるだけ早く送ります。

文書は少し時間がかかりますが、後で送ります」

電話を切ると、どっと疲れた。

そして今自分が何をすべきかを考えた。

まだ事態をよく理解できなかったが

とりあえず、今後のやりとりはメールか文書のみでおこないたい

というメールを課長あてに送信した。

口頭でのやりとりでは埒があかないと感じたこともあるが、

こちらの言い分をピンピンと跳ね返し、

自分の言い分だけを通そうとする冷たく固い態度に

人としての温かみや誠意は感じられなかった。

正直、もう二度と話したくないと思った。

わたしは10年ほど前にパニック障害を患っている。

2年の治療を経て治癒したが、

完治ではないと感じている。

精神的に追いつめられると、背筋からゾクゾクとしてきて

それが後頭部に達するとパニック発作が起きる。

そうならないように自分を追いつめそうなものからは距離をおくことを覚えた。

この時から「亀岡市教育委員会人権教育課」は

わたしにとってそういう存在になった。

しかし11月29日、当の課長から電話がかかってきた。

油断していたわたしはその名前を聞いた瞬間、動揺した。

それでも急いで「電話はやめてくださいとお願いしましたが」と言いかけると、

かぶせるように「いえ、住所の確認だけですので」と言う。

確認をするうちに少し落ち着いたので、

「文書はどうなっていますか」と尋ねた。

前回の電話から3週間が経っていたからだ。

返ってきたひと言は

「はあ? 文書ですか?」

完全にとぼけていた。

「いや、前回の電話で、時間はかかるけど文書を出しますと言われましたけど?」

「いやいやいや、文書といってもただの羅列になってしまうので、

とにかく一度お話し合いをして」

「だからそれはこの前もお話ししたように、事前に何が問題かを教えていただかないと

お話し合いはできません」

するとあろうことか、課長はこう言ったのだ。

「いや、まだこちらも振り返りをしていませんので文書は書けないんです」

振り返りをしていない?

それでわたしを呼び出す?

もう我慢できなかった。

わたしは大声で抗議した。

声が震えていた。

この場面は記憶が途切れ途切れで、

これまでのようにはっきりと再現できないが、こう言ったことは覚えている。

「あなたは11月9日にはっきりと”時間はかかるけど文書は出す”と言いました。

そちらで振り返りもしていない状態で、なんでわたしが行かないといけないんですか!」

不毛なやりとりの末、

とにかく講演の音声データを送るということで電話は終わった。

電話を切った後、パニック発作が起きた。

12月1日、講演の音声データが届いた。

課長からの一筆が同封されていた。

「縁を結んでいくのは大切なことだと考えています」とあった。

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

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部落差別は「特別な差別」なのか? 5

女性との”面談”を終えたわたしの胸には

相変わらずもやもやとしたものが燻っていた。

女性が経験してきた部落差別の厳しさは聞いたが、

わたしの講演のどこに、

その女性と息子であるという男性がひっかかったのかは教えてもらえなかった。

女性から渡された半紙に書かれていた「耳に痛い言葉」から逃げる気はない。

しかし具体的に言われなければわからない。

女性とは11月に再会する約束をした。

「今度はわたしが大阪に出るから、社納さんの仕事場を見せてね」と何度も言われた。

わたしは借りた冊子を読み、何となく心のなかで再会の準備をしていた。

その一方で、前回とは違い、気が重かったのも事実である。

「対話」が成り立っていないと感じていた。

11月に入り、大切な冊子を借りていることが気になってきた。

そろそろ連絡をとろうと思っていた矢先の11月5日、

夜遅く帰宅すると、留守番電話に女性からのメッセージが残っていた。

「本を送り返してほしい」と。

話が違うので驚いたが、

翌日、一筆添え、速達で女性の自宅に送った。

女性のほうが強く再会を望んでいたのに、どうしたんだろう。

もやもやは大きくなる一方だった。

考えた末に、自分の話した内容を確認しようと思った。

もっと早くにすべきだったと思うが、

なにしろ自分をさらけ出し過ぎて、聞き返すのがつらかったのだ。

11月9日、亀岡市教育委員会人権教育課に電話をかけた。

呼び出してもらった課長にあいさつをし、

講演のデータが必要になったが自分では録音していなかった、

録音をしていたら貸してほしいと伝えた。

すると課長は妙なことを言い始めた。

「あ、わたし共もちょうど社納さんにご連絡しようと思ってたところなんです。

実は関係機関から社納さんの講演に問題があると指摘がありまして、

ちょうど昨日、会議をもったところなんです。

本当に、ちょうど今、ご連絡するところでした。

お忙しいところ申し訳ないんですが、

一度こちらに来ていただいて、お話をさせてください」

驚いた。

このひとは何を言ってるんだ?

混乱しながら、「関係機関」という言葉にひっかかった。

「あの、関係機関とおっしゃいましたが、

具体的にはどちらですか?」と尋ねると、

課長は慌てて言い直した。

「いや、申し訳ありません。

関係機関とは教育委員会のことです。

教育委員会のなかで指摘があったということです。

とにかくですね、一度こちらへ来ていただいて・・」

何が何でも呼び出そうとする意思を感じて、

わたしは課長の言葉を遮った。

「ちょっと待ってください。

わたしの話のどこが問題だと言われているのか、

まずは具体的に教えてください」

すると課長は、

「いや、どこがというよりも、講演では十分に社納さんが

お話ししきれなかった部分もあるかと思うんです。

そこを確認させていただきたいということなんです」と、

具体的なことは一切言わないまま、「話し合い」を求めてくる。

わたしはだんだん腹が立ってきた。

「話し合い話し合いと言われますけど、

具体的にどこが問題なのかも言われずに、どんな話し合いができるんですか。

第一、教育委員会からは講演のあとに正式な礼状と参加者のアンケートも受け取っています。

わたしが伝えたかったことをきちんと受け止めてくださったことがわかる内容でしたし、

わたしは礼状を受け取った時点で教育委員会との仕事は終わったものと受け止めています」

怒りを必死で抑えながら、そう伝えると

課長は鼻先でフンと一笑し、

「礼状は確かに送りましたが、

社納さんのようなお仕事をされている方は

礼状を受け取ったから終わりというものではないんじゃないですか?」

と返してきた。

講演をした日、和やかに談笑した人とは思えない。

居丈高な物言いで、およそ筋の通らないことをごり押ししようとしていた。

 

つづく。

 

 

 

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