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2010-05

復旧しました。

サーバー、復旧しました。

一昨日から昨日にかけてメールをくださった方、

改めて送信していただけるとありがたいです。

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思い出の味。

昨日の夕方以降、メールの送受信ができなくなっている。

サーバーに問題が発生しているようで、このブログもしばらく見られなかった。

困ったにゃ〜。

というわけで、昨日から今日にかけてのメールが読めていません。

メールをくださったかたは、復旧後に再送していただけますようお願いします。

って、こんなひっそりしたブログで告知してもあまり意味がないような。

ところで、今日はインタビュー取材のため、大阪府南部の某駅へ。

はじめて降りる駅だけど、なんだかとても気に入った。

駅の周辺にお店がいっぱいある。

高島屋や、紀伊國屋書店だの無印良品だのが入ったショッピングセンターがあるかと思えば、

個人商店も元気に営業している。

そのなかに、なつかしい名前をみつけた。

ケーキ屋さん、だ。

子どものころ、祖父母の家に泊まりがけで遊びに行くと

当時まだサラリーマンをしていた祖父が

ときどきケーキを買って帰ってくれた。

ケーキが日常のおやつではなかった時代。

ひんやりとした箱を開けるのがたまらなくうれしかった。

開けた瞬間の匂いまではっきりと覚えている。

そのなつかしいケーキ屋さんがあったのだ。

たしかにこの名前だと思いながら、ショーケースをのぞいてみた。

祖父がどんなケーキを買ってきてくれたのかは覚えていないし、

ケーキの種類も時代とともに変わっただろう。

それでも全体的に、よくいえばなつかしい、正直にいえば少々古びた品揃えだ。

今どきバタークリーム仕様のバースディケーキがあるし、

ショートケーキも、見ただけで甘さが伝わるビジュアルだ。

シュークリームと、焼き菓子をいくつか買った。

食べてみると、シュークリームは意外なほどおいしい。←失礼

焼き菓子は思った以上にまずい。←さらに失礼

パイにはざらめがたっぷりかかっていた・・・。

「あー、むかしのお菓子ってこんなんやったなあ」と思いながら食べた。

人にはおすすめできないが、たまにひとりで食べたい。

そんな、なつかしいケーキ屋さんだった。←ほめてるつもり。

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「貧困」て何やねん。

通常モードに復帰するも、頭のなかはボケボケだ。

大きな失敗をしないように気をつけないと。

と思った矢先に、自宅の鍵を事務所に置き忘れ

父親の家にいた娘を深夜に呼び出す失態をしでかす。

ごめんよー。

昨日は、しんぐるまざあず・ふぉーらむ・関西の設立5周年記念集会だった。

テーマは、「子どもの育ちと学び〜貧乏だってこわくない!?・・・だったらいいな♪」

しんどい状況にある子どもを支援している事例を4つ紹介した後に、

大阪大学教授の木村涼子さんのお話をきく。

子どもと「貧困」にまつわるさまざまなデータの紹介と解説をしてくださった。

子どもの貧困については、ここ数年、「これでもか」というほど語られてきた。

それらを見聞きするたびに、心にもやもやが積もっていくような気分だった。

昨日、質疑応答の場で思い切って発言してみて、

ようやく自分なりの理屈の輪郭がはっきりしてきたように思う。

発言内容を整理、補足して書いておく。

ライターとして、ある産科医を取材したとき、

彼女の同僚や友人の多くが子どもとの関係に行き詰まっていると話してくれたことがある。

親たちは子どもによりよい環境をと、お金をかけてあらゆるものを提供するのに

子どもたちは薬物に依存したり、不登校になったり、夜の街で遊び回ったりして、

「親の思い」とは正反対の方向へいってしまう。

その様子をみていると、親子の間に「皮膚一枚の冷たさ」があるように思える、と。

わたしが思うに、それは親が子どものありのままの姿ではなく、

「あるべき(自分の)子ども像」ばかりを追い求め、

目の前の子どもが本当は何をしたいのか、何を思っているのかを

想像しようともしないということなのではないかと。

いくらお金があって「いい環境」を整えてやることができても、

その関係は貧しいといえるのではないか。

お金がないという「貧困」は見えやすくわかりやすいから、

経済的に苦しい親子ばかりに焦点があてられるけど、

本当に「貧しい」のは、学歴や知力偏重の社会ではないか。

わたしの元夫は「家に本がない」という環境で育ったが

町工場をひとりで切り盛りしてきた。

しかし彼は二言目には「俺はアホやから」と言う。

地に足つけて働く人が、なんでそうやって自分をおとしめなあかんねん。

今、貧困と学力の関連や、家庭における「文化的背景」の有無や親の学歴などが

その子どもの学力や将来の貧困と関連づけてさかんに語られてるけど、

そのことが経済的に苦しい親子を追いつめていると同時に

さまざまな「現場」で働くひとたちやその労働をおとしめてるんちゃうの。

「貧困」を生み出しているのは、学歴の「低さ」や

「文化的背景」(それにしてもうさんくさい概念やな)の有無ではなく、

「現場」の労働をおとしめ、買い叩いてるひとやら仕組みやらとちゃうのん。

それは結局、社会全体のパワーダウンにつながってくる。

勉強したい子どもに教育を保障するのはもちろん大事。

だけど、「貧困」を克服するには教育と環境だ!という論調にはまったく同意できない。

・・・なんだか話がまとまらなくなってきた。

疲れてきたし、今日はここまで(えーーーー!)

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黄金な日々。

こんなに忙しいGWは初めてじゃないかというほど

予定のつまった1週間だった。

京都に3回行き、お芝居を1本観て、

久しぶりの友だちに会い、バーベキューをして、緑地公園をだらだら歩いて

鶴橋と京橋で飲んだ。

合間に5時半に起きて働いた。

なかでもよかったのは、京都の建仁寺、禅居庵で開催された、

「いま、断てへんやつは立たれへん展」。

竹井正和さんの、熱くて優しい言葉が体に染み入った。

東京で毎月やっている「持ち込みナイト」もやるというので見学した。

持ち込まれた絵画や写真を竹井さんがどんなふうにみるのかを見学するのかと思っていたら、

「見学の人もどんどん意見や感想を言ってください」といわれる。

「えーーー」と思ったのは一瞬で、

参加者のプレゼンテーションを聞きながら作品をみていると

どんどんひと言いいたくなるのはなんの性か。

でも、とても刺激をうけた。

表現するって、アートって、なんやろね。

強く思ったのは、「使命感はいらん」ということだった。

「こんな暮らしかた、生きかたを伝えたい」

みたいなものを感じたとたんに、しらけてしまう。

人はだれでもかけがえのない存在であると同時に、

たいしたものでもない。

作品で人に何かを感じてもらおうなどと思わず、

自分ととことん向き合って格闘して、まさに「断って」ほしい。いろんなものを。

その軌跡をみたい。

というか、表現というのは、それでしかないんじゃないか。

みたいなことをつらつら思いながら大阪に帰った。

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