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2010-01

京都というまちとのつきあい方

『京都の平熱 哲学者の都市案内』鷲田清一著、読了。

京都に生まれ育った著者が、その路線沿いに住み、生きてきたという

市バス206番のルートに沿って京都のまちを語っている。

年末にお気に入りの古書店で買い、毎晩寝る前に少しずつ味わいながら読んだ。

おきまりの京都案内とはもちろん違って、京都というまちの見方、感じ方を教わった。

ところで、少なからぬ大阪人にとって、京都は「つきあい方がよくわからない」まちではないだろうか。

映画を観るなら、買い物をするなら、大阪でも事足りる。

動物園も美術館も、おいしい食べ物屋も大阪にもある。

神社仏閣といっても、正直いってどこの何を観ればいいのかわからない。

修学旅行生にまみれて土産物屋を冷やかすのも、なんだかなあ。

しかし、京都と大阪のまちは何かが違う。

おなじことが「人」にも言える。

京都の人はどうか知らないが、大阪人は京都人を「斜めに」意識している。

「京都の人は本音がわからない」、はっきり言うと「いけずちゃうか」と思っている。

同時に、なんだか文化度が高そうでうらやましい気もする。

「ええかっこすんなよ」と思いながら、恐る恐る京都でデートする。

わたしも、京都には何十回も行っているが、

未だに神戸や奈良よりも「よそへ来た」感覚が強い。

話は少し逸れるが、去年、友人を通じてハヤシさん(仮名・男性)という人と知り合った。

ハヤシさんも京都の人だ。

たいへん賢い人なのだが、まったくひけらかさない。

そして、行き届いた心配りのできる人である。

ある件で、わたしがハヤシさんから小銭を受け取ることになった。

「そんなん、いいのに」と思っていたわたしに、ハヤシさんは「はい、お年玉」といって

ポチ袋に入れたお金を渡してくれた。

袋には「葉子ちゃん」と書いてあった。

自分でもびっくりするほど、うれしかった。

そういうことがさりげなくできる人だ。

一方で、わたしと同じライターであるハヤシさんは「お人が悪い」面ももっている。

人をよく観察していて、突っ込みどころにはするどく反応する。

そして、突っ込む時になんともうれしそうな顔をする。

そのうれしそうな顔が、ある意味「できすぎ君」的なハヤシさんの「隙」となる。

「隙」とは魅力だ。

ちょっと意地悪な突っ込みをするハヤシさんのうれしそうな顔に、

わたしはうれしくなって、いつも笑ってしまう。

この本を読みながら、ハヤシさんのことを思い出していた。

わたしは人を怒らせるのが大の得意だけど、

ハヤシさんを本気で怒らせるようなことだけはしてはいけないのだと思う。

わきまえる、ということだ。

そして、それはたぶん、京都というまちとのつきあい方にも通じる。

(でも具体的に何をどうすればいいのかがわからない←致命的)

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『ふらっと』ココルーム 第2回

釜ヶ崎で活動するアートNPO、ココルームに関わる人たちの語りをまとめた連載2回目です。

今回は常連の井上登さんのお話です。

毎日のようにココルームに顔を出す井上さんは、スタッフから「のぼるさん」と呼ばれています。

とても礼儀正しく、キャップがトレードマーク。

赤いセーターがよく似合い、なかなかお洒落でもあります。

上田さんのインタビューをした日、急なお願いにもかかわらず、

取材を快諾してくださいました。

http://www.jinken.ne.jp/letter/cocoroom/2.html?PHPSESSID=6jpf7kr5bv2ecb51s1aqvi1dpgcg4rv5

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呪いはブーメラン

そろそろ1月もおしまいだが、

もうお正月など遙か昔のことのように思えるほど

濃密な1ヶ月だった。

いろいろ書きたいことはあるけれど、

こういう時にふと、10年ほど前に言われた言葉が頭をよぎる。

仕事を通じて考えたことを話していたら、

「それ、自慢?」と言われた。

10歳以上も年上の人だった。

「そんなふうに思われるんだ」と驚いた。

今なら「大人げない人だな」と思えるが、それでもずっと心に残っている。

あーあ、イヤだな、いつまでもこんなことを覚えている自分が。

そして、言葉には人をどうにでもする力が宿っているのを思い知る。

最近なんだかいろんなことに素直になれなくて、言葉の扱いもぞんざいだった。

ひがみや意地悪がこめられた言葉には呪いがかかっている。

しかし一時的には相手をやりこめた気になっても、必ずいつか自分に返ってくる。

呪いはブーメランだから。

さてさて、反省はこれぐらいにして(はやっ)、

新しい気持ちで2月を迎えましょう。

べりっ。←1月のカレンダーを破る音(再び、はやっ)

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『昭和快女伝 恋は決断力』森まゆみ著

明治に生まれ、昭和を文字通り生き抜いた15人の女性たちを

森まゆみさんがインタビューしている。

女性たちの生き方、語りのなんと爽快なことよ。

自分では選べない時代や社会や、運と呼ぶには理不尽すぎる巡り合わせを

身ひとつで受け止め、受け入れ、覚悟を決めて飲み込んで。

生きることを人任せにしてこなかった人の言葉は、簡潔で美しい。

「私、損することに決めてるから」長岡輝子さん

「鴨引くや人生うしろふりむくな」鈴木真砂女さん

「本当のことだけ言うこと」北林谷栄さん

「頭のどこかが破けてるのかも」吉行あぐりさん

裕福な家に生まれたり才能があったりと、ある意味「特別」な人たちではあった。

けれど、女が自分の意志をもつことすら社会的に(!)認められなかった時代に

自分だけの道を切り拓くのは、親の財力や才能があっても容易ではなかった。

強さはもちろんだが、ユーモアや楽観性、柔軟さも大事だよと教えてくれる。

森まゆみさん自身も、書き手としてシングルマザーとして尊敬する人だ。

この本でも、ご本人の語りを細やかで的確な地の文が引き立てて、

長くて濃い半生をくっきりと浮かび上がらせてくれる。

エッセイ『走るひとり親』には、子育て真っ最中の時代にずいぶん励まされた。

「恋は決断力」というサブタイトル、最初は「何だかなあ」と思ったが、

「不倫」を40年貫いた鈴木真砂女さんの言葉と知って、納得した。

「恋は」というより、「女は決断力」という気がするけれど。

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何となく言い訳

くしゃみをすれば喉が切れるように痛み、

咳をすれば胸の奥が痛い(ロマンチックな意味ではありません←わかっとるわい)。

それでも年末に入稿した原稿はちゃんと本になって先方に喜んでもらい、

先週打ち合わせした本の表紙のデザインはとってもいい感じでできあがってきた。

わたしの手元には、ちょっと途方に暮れるほどの原稿がたまってる。

今日は原稿のほうはまったく進まなかったけれど、

今週いっぱいは取材もないし、明日から心機一転がんばろう。

というわけで、今日はこれにておやすみなさい。

ただいま午後9時。

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げほげほ。

コンコンコンコン・・ゴホゴホ・・ゴッホゴッホゴッホゴッホ・・

おえ。

失礼。

案の定、風邪がぶり返し、電車で周りの人にイヤな顔をされている。

もちろんマスクは着用しているが、隣でえづかれたら誰だってイヤだろう。

ずびばでんねえ(訳:すみませんねえ)。

今日は、ココルームのシンポジウムでのトピックのひとつ、

小沢健二さんと会場をスカイプでつないでのセッションについて書こうと思っていた。

小沢さんはニューヨーク在住のようだが、あの日はエクアドルからだった。

相変わらず王子様のようなルックスで、髪をかき上げながら、ナイーブかつ熱く語ってくれた。

テーマは、「アート」という罠:「アート」ではなくて

これがもう、なかなかに刺激的な内容だった。

ここ数年、世界各地の都市の貧しい地域で、さかんにアートプロジェクトがおこなわれているそうだ。

それはなぜかということを、みんなで考えたいと小沢さんは話した。

そして小沢さんが手に入れた情報をいろいろと伝えてくれた。

50分間、時に感極まりながら語り続けた。

内容については、後日またメモにまとめたい。

ところで、上田假奈代さんが書かれたゲスト紹介の文章がとてもすてきで、

何度も何度も読み返して、味わった。

ココルームと小沢さんの出会いは、2007年。

近くのフリースクールで小沢さんがつくった映画の上映会があり、

暗幕を貸したところ、小沢さん本人が返却にこられたそうだ。

そしてココルームのスタッフとお昼ご飯を食べ、上田さんの案内で釜ヶ崎を歩いた。

以下、引用

そのときの小沢さんの質問は的確だった。まなざしは労働問題、野宿者の問題、

運動のありよう、まちの分断、都市のジェントリフィケーションについてなど、細かなことも見逃さない。

そして歩いているわたしたちに話しかけてくるおっちゃんたちに丁寧にこたえている小沢さんの姿は、

無名を生きる人々を尊重するあたたかさに裏打ちされたものであった。

引用終わり

そして、小沢さんは、「このおじさんたちにも(映画を)観てもらいたい。

いまからココルームで上映できますか?」と言い、急遽、上映会がおこなわれた。

そんな出会いがあっての、今回のセッションだった。

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「アートの力を信じる」 OCA!(大阪コミュニティアート)シンポジウム

詩人は、黒いウエストバッグを肩から提げていた。

釜ヶ崎で活動するアートNPO、ココルームが

大阪市の助成を受けておこなったシンポジウム「アートの力を信じる」。

ゲストの1人が詩人の谷川俊太郎さんだった。

わたしが参加申し込みをしたのは、ココルームの取材をしたことや

代表である詩人・上田假奈代さんにとても共感していることもあったが、

「生きてる谷川俊太郎を見ておきたい」という不謹慎な気持ちもあった(すいません)。

最終的にはスタッフとして1日中受付に座っていたが、

受付が会場内にあったために、プログラムはすべて見ることができた。

谷川さんが登場したのは、15時半からの第3部。

「さあ、いよいよ谷川俊太郎の登場ですね」と一緒に受付をしていた人に声をかけて、

ふと横を見ると、ウエストバッグを肩に提げたご本人が立っていた。

ずっと客席でそれまでのプログラムを見ていたようだった。

假奈代さんと、詩人という生き方やアート、仕事について語り合いつつ、

詩を朗読する。

谷川さんは、少しざらついた声でたんたんと。

假奈代さんは、軽やかだけど深みのある声で静かに歌うように。

言葉が体に染み通っていく感覚があった。

すりむいたところは沁みて痛かった。

最後に、谷川さんが釜ヶ崎を歩いてつくったという詩が朗読された。

うまれたばかりの詩をみんなで味わう。

ココルームの取材でインタビューさせてもらった登さんが、

会場の一角でやっていた「おっちゃんカフェ」でコーヒーのサービスをしていた。

お酒で失敗を重ねてきた人生を話してくれた人だ。

コーヒーを買いがてら、「登さん。昨日、わたしもお酒で失敗しちゃった」と話しかけた。

「ほう、そんなに飲むんですか」

「たまにね。昨日は初対面の人にケンカ売ってしもたんです」

「わたしも昨日またやっちゃってね。取材であんなこと言うたのに恥ずかしいです。

もう40年やってるから、なかなか直りませんわ。

さっきの假奈代さんの詩、耳が痛かったです」

「わたしも堪えました」

「でも、おたくはまだ若いから大丈夫」

登さんが励ましてくれた。

朝10時半から夜7時までの長丁場だったが、ひとつひとつのプログラムが温かかった。

身重の假奈代さんと、スタッフの麻衣ちゃんの着物姿の凛々しかったこと。

アートを「生きる技術」とし、釜ヶ崎に時に傷つけられながらも根を下ろして生きる假奈代さん。

帰り際、「お疲れさま」と言いながら思わずとった手は、

熱く湿っていた。

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褒められたい。

格闘していた原稿がようやく完成し、編集者のもとへ旅立っていった。

原稿用紙4枚ぶんに、細切れとはいえ何日もかかっていた。

30分後に「いいですね」と返事がくる。

やったー。

仕事をしていて、もっともうれしい瞬間だ。

褒められるの、大好き。

しかも、ほんとにいいと思ったことしか褒めない人に褒められるのが好き。

わたしもそう思われる人になりたいな。

昨日の対談を思いだしながら思う。

よっしゃー、次行くぞー。

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色気はどこからくるのか。

船越英一郎さんと山村紅葉さんの対談のため、朝から京都へ。

いいお天気で、ほどほどに暖かく、まさに取材日和。

午前中の撮影を見学させてもらう@太秦・大映通。

いきなり通行人役を仰せつかり、船越さん演じる狩矢警部の横を何度も歩く。

テレビでみていた人と実際に接すると、いろいろ感じることがあるものだが、

船越さんと言葉を交わして感じたのは「色気」だった。

ムンムンという感じではなく、そこはかとなく、けれど確かに色気が漂ってくる。

妻である松居一代さんのペースに否応なく巻き込まれているというイメージが強いが、

実際は違う。それどころか、けっこうワルい男かもしれない。

・・・と思わせる。

これは、役者としてかなり大事なことのように思う。

実際はどうかではなく、そう思わせることが。

ところで、「色気」って何ですかね。

ふと、「どれだけ真剣に生きてきたか」じゃないかと思ったが、

たとえば、真剣に組合活動してきたけど、ただ脂くさいだけというオッサンもいる。

(完全にたとえ話です)

たとえば、真剣に映画つくってきたけど、ただヤニくさいだけというオッサンもいる。

(しつこいけど、たとえ話です)

色気。

奥が深いわ。

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「代わりを探せ」と言われる

昨夜はどんどん熱があがった。

今日は朝からもうひとつの仕事が入っていたが、無理だと判断して電話をかけた。

高熱が出たから明朝の出勤は無理だと言うと、とたんに声のトーンが変わる。

「あー、そうですか。・・・・・じゃあ、まあ早く元気になってまたがんばってください。

えーと、こういう時は代わりの人を探すことになってるんですけど」

「え? いや、探してないです」

「あー、そうですかー。今度からは自分で探してくださいねー」

そして最後に、とってつけたように「お大事にー」。

38度超えの熱が出てるっちゅーねん。

これはどうなんだ?と思い、ネットで検索してみると、

同じような相談とアドバイスが書かれた掲示板がいろいろ出てきた。

驚いたことに、少なからぬ人が「代わりの人を探すのに法的義務はないが、

いったん引き受けた以上は常識ある社会人として代わりを探すべき」と「アドバイス」している。

ギリギリのスタッフで店を回すのは、あちらが最小限の経費で最大限儲けたいからである。

わたしは、シフトに入ったときは精一杯働いている。

しかし、1分刻みで切り売りする仕事に「無理」をする気はまったくない。

怠ける気はないが、義理立てする気もない。

無理をすれば3時間ぐらい働けたかもしれないが、その後は間違いなくこじれただろう。

そのことについては「あちら」は責任をもたない。

代わりの人間を探せといっても、わたしは他のスタッフの連絡先はひとつも知らない。

まあ、休ませないための嫌味でありプレッシャーなのだろう。

しかしこの仕事で生活を成り立たせている人は、「無理」をするしかない。

あたりまえの話だが、人間は機械ではない。

病気になったときぐらい、自分を第一に考えてもいいじゃないか。

と書いて、ふと思う。

ふだんから自分を大事にしていなければ、病気になってもできない。

そしてこの社会では、自分を大事にすると「わがまま」と言われる。

窮屈やねえ。

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