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ライター社納葉子のテララ町ぶるーす

お下がりはちょうちん袖。

今日着ている服は、娘のお下がりである。

もう着ないから捨てるというのをもらった。

ろーりーずふぁーむとかいうブランドで

何やらふんわりした袖が気恥ずかしい。

が、そんなことはどうでもいい。

もったいないじゃないの。

シミもないし破れてもいないのに。

30年前、母に同じことを言われたな。

娘のお下がりを着る母をちょっと小馬鹿にしていたかもしれない。

おかあさん、ごめん。

つうか、日曜日は母の日やったね。

あなたの娘(46歳)は昼過ぎまで酔っぱらいでした。

そして今日はちょうちん袖(死語)の服で働いてます。

明日、いっしょにお昼を食べましょうね。

以上、業務連絡。

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さわやかな5月の日曜に。

朝起きたら、全身が酒臭かった。

さわやかな日曜の始まりとして、どやねん。

揺れる環状線に乗って気がついた。

まだ酔うとるがな。

二日酔いの朝って内省的になりますね。

14時を過ぎて、ようやく人間に戻る。

さー、1時間ぐらい仕事するか(えっ)。

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部落差別は「特別な差別」なのか? 17

新年度が始まった。

亀岡市教育委員会からはなんの音沙汰もない。

3月、弁護士に相談した。

(これまでは法律の専門家に個人的に相談させてもらっていた)

詳細は書かないが、一連の経過を記録したものや先方が出してきた文書を読みながら、

「何がしたいんでしょうねえ」と首をかしげていた。

ほんとに、何がしたいんでしょうねえ。

このことを書き始めてから、

さまざまな反応があった。

多くはわたしを心配してくれる声だった。

「大丈夫ですか?」と何回言われたことか。

あまり言われるので、わたしも不安になった(今さら)。

しかし、どこからも何も言われていない。

少なくとも直接には。

相変わらず、「問題がある」と触れ回っているひとはいるようだが、

真に受けて動くひとはいない。

それが「答え」なのだと思う。

講演を文字起こししたものを読んだ、

部落解放運動の関係者の一人は「まったく問題ない」と言い切ってくれた。

わたしの極めてプライベートな経験もさらけ出した講演だったので、

本当はあまり不特定多数の人に読んだり聞かれたりはしたくない。

(ちなみにあちこち持ち歩いているのは女性の関係者である)

失敗だらけ、転んでばかりの人生だった(まだ終わってないけど)。

壇上では必死だったが

今「読んだよ」「聞いたよ」と言われたら

ぎゃーと叫びたくなる。

それでもいったん書いたもの、話したものの結果は引き受けなければならない。

だから、女性にも会った・・と書き始めると同じ話の繰り返しになるのでやめておく。

ここに書き始めたのは、

すべてオープンにすることが自分を守る唯一の術だと考えたからだ。

誰にも見えないところで、ひとりで向き合っていたら

先方の理屈やペースでどんどん進められてしまう。

抗議しても質問しても、それは無視して

自分たちの要求だけを通そうとする。

人権にかかわっている人たちとは思えないほど、

理不尽で暴力的だった。

結果的にすべてをあきらかにしたのはよかったと思う。

まず、亀岡市教育委員会からのコンタクトがなくなった。

それだけでどれほどわたしの精神的負担が軽くなったか。

そして、さまざまな情報が集まってきた。

さらに、「どう考えても向こうが間違ってる。会うことがあるなら

一緒に行くよ」と言ってくれた人が何人もいた。

私が疑問に思ったこと、怒りを感じたことは間違っていないと思えた。

そして弁護士も「社納さんの質問状にすべてが書かれている。

先方はこれに答えることはできないでしょう」と言ってくれた。

いつでもオープンにするためには、

少なくとも自分は卑怯な真似はしないことだ。

筋を通せばなんでも通るとは思わないが、

ごまかしやズルをすればするほど、話のつじつまが合わなくなり、

結局は自分の首を絞めることになる。

わたしにとってはそれが一番カッコ悪い。

自分でも本当に頑固でバカだと思うけど、

これでいいのだ©バカボンのパパ

そして、10年ほど前に派手にやりあって、

「きーっ、あんなやつ大嫌い!」と思ったひとが

わたしの下手な話の本質を受け止めてくれたことはとてもうれしかった。

派手にやりあってから、いろんなことがあった。

いっしょに勉強したし、教えられたし、

取材もさせてもらったし、議論もした。

数年前にはこれまた危機的状況があったけれど、

それ以来、じっくり話したこともないけど、

わたしがどんな思いで人権のこと、差別のことを考えてきたかが

今回「わかる」と言ってくれた。

それが本当にうれしかった。

でも、これからも「おかしい」と思ったら、

相手が誰でも言っていく。

ほんとに頑固でバカだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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部落差別は「特別な差別」なのか? 16

 

昨日(3月13日)、亀岡市議会の3月定例会にて、

今回の問題について井上耕作さんという議員さんが質問をされた。

わたしはそのことを井上さんのブログで知り、

インターネット中継で視聴した。

以下はその部分を文字起こししたものである。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

井上  昨年7月12日の人権教育講座における、その後の教育委員会の対応についてですが、

実はですね、人権講座、社納葉子さんの人権講座が7月12日にございました。

時間もございませんので簡単な概略だけ申しますと、えー、7月28日に教育長名で

礼状が届きました。フリーライターという立場から、実際に取材し、かかわった被差別部落の

人たちや、差別的事象についてその時々の自分自身をめぐる状況やそのまでの体験を踏まえて

大変わかりやすくお話しいただきましたと。そういった、あの、回答をいただいております。

それが、あー、12月19日の速達でまた文書が届いた時には・・。

これはまた、いろいろ問題があると指摘があって、結局、あー、この社納さんは

平成24年2月4日から24年3月8日にいたるまで、第15回にわたる、

その状況をブログで綴っておられるわけでございます。

えー、その対応につきまして、何か、見解がございましたらお願いしたいと思います。

 

教育長 ご質問の講座は第2回目の人権教育講座でございまして、フリーライターにご講演

いただいたものだというふうに思っております。えー、講演後、受講者から質疑や意見などが

出まして、主催者として講演内容について講師の本意を確認させていただく必要があると

考えております。また、主催者の教育委員会といたしましては、今後こういったことが

ないように、講演内容についての十分な打ち合わせや会場からの質疑、意見等について、

臨機応変に適切に対応できるよう、職員の人権意識、資質向上に努めていきたいと

考えております。広く市民に人権を学ぶ機会を提供する行政として、市内のさまざまな

機関と連携を深めて、人権教育活動を進めてまいりたいと考えております。

 

議長  井上議員に申し上げます。申し合わせ時間が迫っております。以後、簡潔に願います。

 

井上  まああのくわしく内容を述べられないのが残念なんですけど、自分たちから講演を依頼して

おきながらですね、なぜ引き受けたのかという対応があったということを聞いております

けれども、今後そういったことのないよう、しっかりと人選をしていただきたいかなと

思います。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

この井上さんという人からは、2月23日にこのブログを通じて連絡をいただいた。

かねがね亀岡市教育委員会の姿勢には疑問を抱くことが少なくなく、

今回の件も亀岡市民として申し訳なく思っている。

一度ぜひ会って、情報交換をしたいという申し出であった。

わたしはこう返信した。

・・・・・・・・・・・・・・・・

井上耕作 様

おはようございます。

私のブログをお読みいただいたとのこと、
また関心をもっていただき、ありがとうございます。

私も井上さんのことは存じ上げておりました。
今回の件では、

私なりにどうしたものかといろいろ模索したのですが、
そのなかで井上さんのブログに行き当たり、
「熱い人やなあ」と親しみを感じておりました(笑)。群れないというスタンスにも共感しますし、
お祖父様、お父様の生き方にも感銘を受けました。お申し出、大変ありがたく思っております。
とりあえず一度お目にかかり、情報交換をさせていただけたらと考えております。私がただひとつ懸念するのは、
この件が私の手を離れて、差別に傷ついている人に対する、
本当に必要な支援や取り組みに影響することです。
それは決して私の求めるものではなく、
むしろ今後さらにしっかりと取り組まれてほしいと願っております。そういう意味でも、私は今回の亀岡市教育委員会の対応や
一部の職員の方の姿勢は問題だと考えております。

そこだけは井上さんともぜひ共有させていただきたいのですが、
いかがでしょうか。

失礼なことをあえて申し上げることをお許しください。
私の懸念をどうぞお汲み取りいただけますよう、お願いいたします。

 

・・・・・・・・・・・・・・

わたしの返信に対して、井上さんからは

2月24日に人権教育課長と面会してこの件に関して事情を聞いたこと、

議場での質問を恐れているようだが自分はかき回すつもりはないこと、

そしてご自身の経験とわたしの経験に通じる問題を感じている

といったようなことが書かれた再返信が届いた。

そこでわたしは一度お会いしてみようと思い、2日ほど日程の候補を提案するメールを送った。

しかし、なぜか井上さんからの連絡は途絶えた。

一度、あらためてメールをしてみたが音沙汰がない。

体調でも崩されたかと思い、井上さんのブログを確認するとお元気そうである。

つまりは「もう私と連絡をとるつもりはない」というのが

井上さんの「意思」なのだと判断した。

もちろん、それはそれでかまわない。

井上さんのブログでもこのブログが紹介されており、

また議会の件も報告されている。

おっとどっこい元気です 井上耕作OFFICIAL BLOG

 

さて、亀岡市議会である。

教育長の答弁は読めば読むほど奇怪である。

まず、「受講者からの質疑や意見」とあるが、

これも繰り返し述べているように質疑や意見を発言したのは1人の男性であり、

亀岡市教育委員会に所属する人物であることが

件の女性の話からわかっている。

そしてその内容は根拠も述べず、わたしの行動を「えせ同和行為である」と

決めつけるものであった。

いわば「身内」が、自分たちの招いた講師に向かって無礼な言動におよんだわけだが、

わたしがいくら説明や撤回、謝罪を求めても

撤回や謝罪はおろか、説明すらしようとしない。

また、「本意を確認させていただく必要がある」とあるが、

「本意とは何に対する本意か」といくら尋ねても具体的に言わずに

とにかく呼びつけようとし、

わたしが「まず内容を示してほしい」と求め続けると

またしても根拠も具体的な箇所も示さないまま、

事実をねじ曲げ、あるいは事実確認もせず、

「問題である」と決めつける文書を送りつけてきたのだ。

「本意を確認」どころの話ではない。

そして、今も「本意を確認させていただく必要がある」と考えているようだが、

2月1日以来、亀岡市教育委員会からの連絡はない。

自分たちのやったことにどう責任をもつのか、まったくわからない。

こうしてわたしに対する責任は放置したまま、教育長は

「今後こういったことがないように、

講演内容についての十分な打ち合わせや会場からの質疑、意見等について、

臨機応変に適切に対応できるよう、職員の人権意識、資質向上に努めていきたいと

考えております。広く市民に人権を学ぶ機会を提供する行政として、市内のさまざまな

機関と連携を深めて、人権教育活動を進めてまいりたいと考えております」と述べた。

亀岡市教育委員会は

わたしに対する「えせ同和行為」という決めつけた職員の「意見」を

正しいというのか。

正しいというならその根拠を説明すればいいのに、それはしない。

こうした教育委員会のいう「講演内容についての十分な打ち合わせ」、

「職員の人権意識、資質向上」とはどんな内容なのか。

さらに「市内のさまざまな機関と連携を深めて」と述べているが、

当事者であるわたしが

資料や記録を添付したうえで説明を求めているにもかかわらず、

なぜそれを無視して、

「さまざまな機関と連携を深めて」なのか。

ここまでひとをないがしろにする組織のいう「人権」とは何なのか。

問題は「人選」ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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部落差別は「特別な差別」なのか? 15

昨日の夕方、仕事をしていると

携帯のメール着信音が鳴った。

開いてみると、わたしあてのツィートの転送だった。

アカウント名は、件の女性の本名だった。

ここに全文を記載する。

・・・・・・・・・・・・・・

@shanouyoko 社納先生のホームページ見せて頂きました。

京都府亀岡市の年老いた81歳の者です。

昨年、孫のような社納先生に一つでも伝わるかと思い

対話の機会に行かせて頂きました。

部落差別は、被ばく者の夫と共に差別の撤廃を叫び

生きてきた私にとっては特別な差別です。

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

5分後、まったく同じものが再び送信されてきた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

@shanouyoko 社納先生のホームページ見せて頂きました。

京都府亀岡市の年老いた81歳の者です。

昨年、孫のような社納先生に一つでも伝わるかと思い

対話の機会に行かせて頂きました。

部落差別は、被ばく者の夫と共に差別の撤廃を叫び

生きてきた私にとっては特別な差別です。

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ツィッターのプロフィールを確認すると

その女性からフォローされていた。

フォローしているのはわたしだけ、

フォロワーはゼロである。

直前にわたしに対してツィートするために

アカウントをとったようだ。

わたしはその女性の名前はもちろん、

年齢も亀岡市在住であることも知っている。

ツィッターの性格から考えても

このツィートはわたしあてのように見せながら

わたしをフォローしているひとたちに向けて書かれたものなのだろう。

わたしのTLを見ながらツィートを送信したが

TLに反映されないので5分後に再送信したと思われる。

しかし、わたしが女性をフォローしなければ

そのツィートはわたしのTLには反映しない。

わたしはフォローではなくブロックをした。

こうしたメールが何度も送られてくると

仕事に支障をきたすからだ。

1時間後にプロフィールを確認すると

アカウントごと削除されていた。

 

繰り返しになるが、

わたしはその女性が部落差別を「ほかの差別とは違う、

特別な差別である」ととらえることを否定したことは一度もない。

また、女性のいう「対話の機会」が

実際には「対話」にならなかったことも書いた。

話し始めたわたしを「わかった!」と強い口調で片手でさえぎり、

あとはご自分の話ばかりだったからだ。

あれは「対話」ではなく「拝聴」だった。

しかし再会する約束は、女性からの強い申し出により交わし、

それも女性からの一方的な留守番電話で立ち消えとなった。

これが「実際にあったこと」である。

このホームページをご覧になっているそうなので

ここで言わせていただく。

こういうやり方はやめてください。

今回のことに関するわたしの考え方は前の記事にも書いたが

もう一度、書いておく。

 

部落差別は、今もはっきりと「ある」。

それがどんなに日常にさり気なく、しかし強固に存在し、

どれほど決定的にひとを傷つけるかを見聞きしてきた。

本当に、ほんのひと言で、いや仕草ひとつで、

ひとの心は死ぬに等しいほどの打撃を受ける。

しかしそれは「ほかの差別」にも共通している。

比べられるものじゃないし、比べるものでもないだろう。

「部落差別はほかの差別とは違う」と感じたり主張したりするのは

そのひとの自由だが、

それをひとに押し付けるのは違うだろう。

それでも「これは言っておきたい」「伝えたい」ということがあるなら、

真っすぐそう言えばいい。

「えせ同和行為だ」などと中傷(としか思えない)したり、

「問題になっている」と思わせぶりに触れ回ったりせず、

本人に指摘すればいい。

そこから新たな対話が始まるのではないのか。

 

追記

今回の女性とその関係者に対しては

すでにわたしは「対話」は望んでいない。

もともと「対話」など成り立っていない

(相手方にわたしの話をきちんと受け止めようという姿勢がみられない)うえに、

わたしに見えないところでおこなわれ、

しかし耳に入ってくるさまざまな動きには

傲慢しか感じられないからだ。

しかし亀岡市教育委員会に対して

説明と、撤回・謝罪を求めることに変わりはない。

 

 

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部落差別は「特別な差別」なのか? 14

 

2月1日以来、亀岡市教育委員会からの連絡はない。

わたしが求めた説明、撤回、謝罪もせず、

向こうが求めてきた「お話合い」の調整もせず。

今後の展開はリアルタイムでオープンにしていく。

亀岡市教育委員会は、自分たちが出した文書や

職員の発言に責任をもってもらいたい。

 

 

 

そして、わたしの胸には今もあの女性の

「部落差別はほかの差別とは違う、絶対に許せない差別なんです」という

強い口調が響いている。

この間の”騒ぎ”の間もずっとそのことを考えていた。

部落差別は、今もはっきりと「ある」。

それがどんなに日常にさり気なく、しかし強固に存在し、

どれほど決定的にひとを傷つけるかを見聞きしてきた。

本当に、ほんのひと言で、いや仕草ひとつで、

ひとの心は死ぬに等しいほどの打撃を受ける。

しかしそれは「ほかの差別」にも共通している。

比べられるものじゃないし、比べるものでもないだろう。

「部落差別はほかの差別とは違う」と感じたり主張したりするのは

そのひとの自由だが、

それをひとに押し付けるのは違うだろう。

それでも「これは言っておきたい」「伝えたい」ということがあるなら、

真っすぐそう言えばいい。

「えせ同和行為だ」などと中傷(としか思えない)したり、

「問題になっている」と思わせぶりに触れ回ったりせず、

本人に指摘すればいい。

そこから新たな対話が始まるのではないのか。

 

このテーマについては、もう少し時間をかけて考えていきたい。

いったんここで締めます。

 

 

 

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部落差別は「特別な差別」なのか? 13

この連載を始めて以来、

新しい記事を書く前にアクセス解析をしている。

このブログを閲覧している地域、使用されているブラウザ、

滞在時間など、けっこう細かいところまでわかる。

昨日、もっともアクセスが多かったのは最新記事の「12」であった。

それはわかる。

次に多かったのが「8」である。

わたしとしては、この理不尽な事態に対する心の叫びが凝縮された「11」

じっくり読んでいただきたいのだけれど。

さて、亀岡市教育委員会の竹岡教育長から届いた返信にはこうある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日まで、人権教育講座をはじめ他の講演会における参加者等からの

ご意見については、講師と担当職員がお会いして、講師との信頼関係の中で

相互理解をもって、口頭確認という形で進めてきております。

今回もお話合いをさせていただきたいと考えて、担当職員がご連絡申し上げましたが、

お会いすることができず、社納さんのご要望に従い、亀岡市教育委員会名での文書を

お送りさせていただいたところです。

今現在も、社納さんとお会いし、お話合いをさせていただきたいという考えに

変わりはございませんので、社納さんも今一度ご検討いただきたいと存じます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「5」で書いたように、担当職員すなわち人権教育課の課長が

「お話合い」を求めてきたのは、たまたまわたしが電話をかけた時である。

人がかけた電話に乗っかるようにして、理由も述べず呼び出そうとしたのである。

居丈高で、とても失礼な態度であった。

その後もとても「信頼関係」などもてるような対応ではなかった。

そうした記録をすべて添付したうえで抗議をしたにも関わらず、

しゃあしゃあと「講師との信頼関係の中で相互理解をもって」と書いてくる。

だから、それはもうとっくにありませんから。

そもそも「相互理解」って何だ。

自分たちのやり方を一方的に押し付けてくるだけではないか。

「口頭確認」なら、

電話口で「ここんところが問題だと言われてるんですけど」

「いや、それはですね」とやりとりすればいいではないか。

電話でいくら「どこが問題だと言われているのか教えてください」と尋ねても

ガンとして答えず、あくまで呼び出そうとする。

「口頭確認」ではなく、

「呼び出す」ことに意味があるとしか思えない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なお、社納さんとお会いする日時・場所等については、

ご相談させていただきたいと考えています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とあるように、もう「お話合い」することは決まっているようだ。

私の意思に関係なく。

そしてその窓口は、あの人権教育課の課長だというのだ。

私の気持ちに関係なく。

ここで「恐ろしい」と書いたら、

「人権教育に対する偏見を助長したことが問題であると考えます」と言われるのか。

誰か助けてください。

まじで。

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

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部落差別は「特別な差別」なのか? 12

わたしからの質問は21項目(16番が重複している)だが、

亀岡市教育委員会/竹岡教育長からの回答は

わたしの質問のほとんどをスルーしたうえで

相も変わらず「お話合い」を求めてくるものだった。

全文を記載する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
平成24年1月30日
フリーライター
社納 葉子 様

亀岡市教育委員会
教育長 竹岡 敏

人権教育講座の講演内容について

平成24年1月8日付けの社納さんからの文書を受け取り、

1月末までに回答をとのご要望でございましたので、

お返事をさせていただきます。
亀岡市教育委員会として、社納さんに講演を依頼しましたのは、
前年度の亀岡市女性集会における助言者としての実績と
主催者との交流の中で信頼を寄せていたことが大きな理由です。
そして、過去に「ライターが出会った部落問題」というテーマで
講演されている豊中市の人権文化のまちづくり講座の講演要旨を拝見し、
今回のテーマで、人権教育講座の講師をお願いしたものです。
社納さんへのご連絡が11月になったことにつきましては、
この時期に、市民の相談を受けた相談窓口から、講座について問い合わせがあり、
講座開催から時間は経過しておりましたが、主催者として、
人権教育事業としての今回の講座にかかる課題等を確認し、
相談者へも社納さんの真意をお伝えすべきだと考えたことによるものです。
また、教育委員会としましても、講座当日のまとめ方などについて、
運営にかかる主催者の課題として受け止めており、
今後の事業推進に活かしてまいりたいと考えているところです。
今日まで、人権教育講座をはじめ他の講演会における参加者等からのご意見については、
講師と担当職員がお会いして、講師との信頼関係の中で相互理解をもって、
口頭確認という形で進めてきております。
今回もお話合いをさせていただきたいと考えて、担当職員がご連絡申し上げましたが、
お会いすることができず、社納さんのご要望に従い、
亀岡市教育委員会名での文書を送らせていただいたところです。
今現在も、社納さんとお会いし、お話合いをしていきたいという考えに
変わりはございませんので、社納さんも今一度ご検討いただきたいと存じます。
なお、社納さんとお会いする日時・場所等については、
ご相談させていただきたいと考えています。
また今後のご連絡の窓口は、改めて、○○○○人権教育課課長とさせていただきますので、
よろしくお願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

驚くべきことに、話が変わっている。

11月に「市民からの相談を受けた」とは初耳だ。

先述した通り、当初、人権教育課の課長は

「関係機関から指摘があり」と口走り、

わたしが確認すると、「教育委員会内で」と言い直した。

それが今回は「市民」から相談があったという。

「前年度の亀岡市女性集会の助言者」とは、

いくつかの分科会のうち、デートDVをテーマにした分科会で

会の進行や、参加者の意見や疑問の整理役をした時のことだ。

皮肉なことに、この仕事は件の女性の関係者から依頼を受けたものだった。

「主催者との交流」とは何のことかわからないが、

分科会でご一緒した地元の女性グループと

終了後にお茶を飲んだことを指しているのかもしれない。

明るく、話をしていて楽しい女性たちだった。

だからわたしのなかで亀岡市の印象はとてもよく、

人権教育講座の依頼も引き受けたのだった。

いろいろ思い出すと、あらためて今の状況を「しょうもない」と思う。

豊中市の講座では、今回と同じような内容の話をした。

この講座以降に経験し考えたことを付け加えてはいるが、

「部落問題」に対するわたしの向き合い方は基本的には変わっていない。

「自分は部落出身者ではない。少なくともその前提で生きてきた。

部落差別を受ける側の当事者ではないが、部落問題はわたし自身の問題だ。

なぜなら、自分が感じて、時には深く傷ついてきた女性差別も

根っこはつながっているはずだから。

そして差別する側、される側は固定していない。

場面や状況によって簡単に入れ替わる。

そこに気づけば、さらに一歩、考えも関係性も深まるのではないか。

あらゆる差別のどこがどうつながっているのか、

あるいはつながっていない(分断されている)かを

ひとと出会うなかで考えてきたし、これからも考えていきたい」

ということだ。

亀岡での講演でもそう話した。

 

つづく。

 

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部落差別は「特別な差別」なのか? 11

私の抗議と質問に対し、亀岡市教育委員会から

竹岡敏教育長の名で、1月30日付の「回答」が送られてきた。

その内容に先だって、わたしからの質問をすべて記載する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

質問状

亀岡市教育委員会からの「人権教育講座の講演内容について」

および「講師の課題と講演内容について」の文書に関して質問します。

1.そもそも、どのような理由で私に講演を依頼されたのですか?

2.私に講演を依頼される前に、亀岡市教育委員会では私が部落問題
に関して書いたものを読まれましたか? 読まれたのであれば、
どの記事ですか? どのような感想をもたれましたか?

3.私は事前にテーマやレジュメを送っておりますが、亀岡市教育委
員会からの連絡はすべてメールで行われ、内容についても事前の
打ち合わせを設定しなかったにもかかわらず、今になって私が講
師を引き受けたことを私自身に問うておられます。主催者として
の講師に対する責任をどのようにお考えですか?

4.「平成23年7月28日」付の礼状(23教人第1037号)に
て、竹岡敏教育長は講演の内容に具体的に触れながら礼を述べて
くださっています。その後、どのような経緯があって今回のよう
な見解に至られたのでしょうか?

5.なぜ、講演後4ヶ月近くも「問題」を放置されていたのですか?

6.講演後、4ヶ月近く何の連絡もなかったにも関わらず、11月9
日に別件でこちらから人権教育課の○○課長に連絡をとった際
に、「社納さんの講演に対して関係機関から問題提起があり、ま
さに昨日、教育委員会内で会議をもったばかりです。時間をつ
くってこちらに来ていただきたい」と言われました。「具体的な
内容を教えてほしい」とお願いしましたが、内容は一切言われ
ず、ただ「来てほしい」の一点張りでした。再三お願いして、よ
うやく文書で内容を提示するという約束をいただきましたが、そ
の際に「まだ振り返りや整理をしていないので、文書は時間がか
かる」と言われました。教育委員会内で振り返りや整理もできて
いない、つまり具体的な内容を整理して提示できない状況で、電
話1本で人を呼びつけるというのはあまりに非常識かつ失礼だと
考えます。なぜこのような対応をされるのか、ご説明ください。

7.11月9日に「文書を出す」と約束されたにも関わらず、受け
取ったのは12月29日午後でした。内容は、私の講演録も添付
されず、私の話した内容を故意にねじ曲げているとしか思えない
ものです。この文書は亀岡市教育委員会総意のもとで作成された
ものでしょうか。違うのであれば、作成された部署または責任者
を教えてください。また、文書を作成されるにあたっては私の講
演録を正確に文字起こしをしたものをもとにされていると思いま
す。そのデータを提示してください。

8.「人権教育講座の講演内容について」の文書のなかにもあります
ように、講演後、講座参加者から私に対し「エセ同和行為であ
る」との指摘がありました。その方が亀岡市役所あるいは亀岡市
教育委員会に在籍されていることは確認済みです。また、その指
摘を受けて今回の「問題提起」がおこなわれているとのことです
ので、亀岡市教育委員会として、私の言動のどこが「エセ同和行
為」であるのかを教えてください。

9.「講師の課題と講演内容について」①に関して
a.「被差別当事者からの信頼をなくす事象」とは具体的にどのような事
象のことですか?

b.「自らの行為や発言が、被差別当事者を傷つけたという経験」とは、
具体的にどのような経験のことですか?

10.②に関して
a.「一面的な体験や事例がそのすべてであるかのような内容」とありま
すが、具体的にどこがそのような内容なのですか?

b.「被差別部落に対して「やっぱり」という発言を繰り返すなど、講座
参加者に対し、「部落」に対するマイナスイメージや偏見を流布す
るような講演内容であった」とありますが、具体的にどこでどのよ
うに「部落」に対するマイナスイメージや偏見を流布しているので
しょうか。

11.③に関して
a.「社納さんの行為を不当だと論じた地域の女性側に問題があるかのよ
うな発言」とありますが、「地域の女性」とは誰のことでしょう
か。

b.「被差別当事者を傷つけたにもかかわらず、自己を正当化する表現の
構図」とありますが、具体的に誰をどのように傷つけ、どのように
自己を正当化しているのでしょうか。

12.④に関して
a.「社納さんの親御さんが「典型的な結婚差別」や障害者差別者であっ
たと告白されています」とありますが、私は両親を「障害者差別
者」であると「告白」などしておりません。なにをもって両親を
「障害者差別者」と断じられるのでしょうか。そのように断じるに
あたって、事実関係を確認されたのでしょうか。

b.「被差別部落当事者や障害者、在日コリアンに関わることの「しんど
さ」のみを強調する内容となっており」とありますが、どこで「し
んどさ」のみを強調しているのでしょうか。

13.⑤に関して
a.「被差別当事者を観察」とありますが、私がどこで「被差別当事
者を観察する」と述べているのでしょうか。

b.「被差別当事者こそあらゆる困難をつくり出す要因があるとする
内容となっている」とありますが、具体的にどこでそのように述べ
ているのでしょうか。

14.「平成23年7月28日付」の礼状には講座参加者のアンケー
ト4通も同封されておりました。いずれも私が伝えたかったことを
的確に受け取ってくださっています。亀岡市教育委員会はこうした
声をどう理解しているのでしょうか。私の講演に「問題」があると
すれば、当日の参加者に対して主催者としてどのように責任をと
られるのでしょうか。

15.「主催者として、社納さんとお会いし、ご意見やお考えをお聞
きしたいと考えています」とのことですが、私はすでに講演で自分
や家族のプライベートな体験の紹介を通じて、自分の考えを述べて
おります。これ以上、具体的にどのような私の「意見」や「考え」
をお聞きになりたいのですか? お聞きになられて、どのような形
で「今後の人権教育」に生かされるのでしょうか。

16.「主催者として、社納さんとお会いし、ご意見やお考えをお聞
きしたいと考えています」とのことですが、「主催者」とは誰で
しょうか。その場所をどこに設定され、どなたが臨まれるのでしょ
うか。そのような前例はあるのでしょうか。前例がある場合、どの
ような形式で催され、その結果がどのように人権教育に生かされた
のでしょうか。

16.私はこれまでに約30カ所で講演をおこなってきましたが、依
頼先から、具体的な内容も明かさないまま電話1本で呼びつけよう
とされたのは初めてです。亀岡市教育委員会では、自らが依頼した
講師に対し、関係機関から問題とする指摘があればその内容を整理
しないまま呼びつけるということをこれまでにもおこなってこられ
たのでしょうか。どのような見解をおもちなのか、ご説明くださ
い。

17.平成23年12月28日付で亀岡市教育委員会から私に対して
出された文書(添付⑤)の内容は、講演の一部を意図的にねじ曲
げ、一方的に人を「差別事象を起こした人間」と決めつけ、さらに
は紹介事例に登場しただけの私人を「障害者差別者」と断じる不当
かつ差別的な文書であると受け止めております。ここまで個人を攻
撃する亀岡市教育委員会の法的権限と、このような姿勢が人権教育
にどのよう寄与するのかをご説明ください。
18.「人権教育講座の講演内容について」の文書において、講座参
加者から「エセ同和行為である」との指摘や、「具体的な変化や考
えの持ち方・提起」についての意見に対して、主催者としてその場
で私の講演内容の問題点を指摘できなかったとし、「その事実は事
実と受け止め」とありますが、亀岡市教育委員会としてどの部分を

「事実」として受け止められたのでしょうか。「エセ同和行為」「具
体的な変化や考えの持ち方・提起」を「事実」として受け止められ
たのであれば、「エセ同和行為」であると判断された根拠をご説明
ください。また、「具体的な変化や考えの持ち方・提起」に「問
題」があることを「事実」として受け止められたのであれば、どの
ような内容であれば「問題」とされなかったのかをご説明くださ
い。
私の「問題点」をその場で指摘されなかったことを「事実」とし
受け止められたのであれば、なぜその場で指摘できなかったのかを
ご説明ください。その場だけでなく、公式な礼状とアンケートを後
日送られており、時間は十分にあったはずです。また、先述した通
り、私は自分に求められた役割を果たした思いでおりました。法的
にも義務を果たしております。6ヶ月近くも経過した後に「問題が
あった」と一方的に決めつけられることはとうてい納得できません
のでご説明ください。

19.18の質問に関連しますが、私自身は講演でさまざまな事例と
向き合うなかで苦しいながらも考え続けてきたことをお話ししまし
た。参加者のアンケートでもそのことに共感してくださったこと
が書かれています。亀岡市教育委員会はそれでも私の講演に「問
題」があるとされているわけですが、亀岡市教育委員会が求める
人権教育の「成果」とは、誰がどのように判断されるのでしょう
か。その「基準」はどこにあるのでしょうか。

私の講演によって「部落」に対するマイナスイメージや偏見が流布されたと誰がどのよ
うに判断されるのでしょうか。

20.今回の亀岡市教育委員会の行動は行政機関としての役割を逸脱
しており、人権侵害の可能性も大であると考えておりますが、亀岡
市教育委員会はどのようにお考えなのでしょうか。

質問は以上です。講演からすでに7ヶ月が経過しようとしており、

○○課長が「文書を出す」とお約束されてからも2ヶ月が経過しております。

今回の文書に関して、亀岡市教育委員会としては十分に整理され、

確信をもって出されたことと思います。

いたずらに長引くことは望んでおりませんので、

1月末までにご回答いただきますよう、よろしくお願いいたします。
万が一、1月末までのご回答が無理なのであれば、

その理由といつまでにいただけるのかをお知らせください。

また教育委員会内での整理や今回の文書作成に際して

使用された講演の文字データだけでも先にお送りくださいますよう、お願いいたします。

また、ひとつひとつの質問項目に対して具体的に答えていただくよう、

お願いいたします。

今回の件が亀岡市教育委員会から始められたことである以上、

最後まで責任をもって対処されることを求めます。

繰り返しになりますが、文書は必ず「正式な文書」として、

また「竹岡教育長」様名義にてお出しください。

私は、行政機関である亀岡市教育委員会から私にあてて送られた文書への

応答として今回の問い合わせをおこなっております。

責任の所在を明らかにすることは今後の進捗におきましても大変重要ですので、

くれぐれもよろしくお願いいたします。

以上。

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部落差別は「特別な差別」なのか? 10

悪意に満ちた「講師の課題と講演内容について」を

何度か読み返すうちに違和感がどんどん強まってきた。

今までのやりとりのなかでは出てこなかった、

「マイノリティ青年」といった奇妙な表現や独特なクセのある文章。

まるでわたしが部落差別事件を起こしたかのように決めつけたうえに

自分たちから講演依頼をしておいて「なぜ引き受けたのか」と問うてくる。

わたしの両親を「障害者差別者」と決めつける。

講演内容を具体的に示さないまま、「問題だ」と断定する荒っぽさ。

わたしは行政のひとたちが文書を作成する際

一言一句にどれだけ神経をとがらせるか、

一緒に仕事をした経験からよく知っている。

しかしこの文書は、文章としての体すらなしていない。

講演の録音を聴いてくれた部落解放運動関係者を再び訪ね、読んでもらった。

「行政が出す文書とはとても思えない。

運動体でもこんな文書は出さない。

こんな理屈が世間に通用するわけない。

いやー・・・ちょっと信じられへんわ」ということだった。

この関係者に限らず、この文書を読んでもらったひとはみな

「相手にする価値はない。

社納さんがしんどい思いをするだけだから、

受け流したほうがいい」という意見だった。

わたしだって好き好んで対応しているわけではない。

何を言っても耳を貸さず、「ご意見やお考えをお聞きしたい」と迫ってくるのだ。

「とにかく社納さんに”自分の認識が足りなかった。

勉強不足で申し訳なかった”と謝らせたいんでしょう。

そうとしか思えない」と言ったひとも何人かいた。

それが事実かどうかはともかく、

第三者にそう思われること自体、

亀岡市教育委員会や人権教育そのものにとって

大きなマイナスなのではないか。

とにかく、わたしは亀岡市教育委員会と”面談”する気などない。

さらに仮にも教育委員会が一般市民を「差別者」扱いすることや

ひとの話を根拠も示さず「えせ同和行為」と決めつけることを受け流せなかった。

わたしは講演依頼から始まった亀岡市教育委員会人権教育課とのやりとりの経過や

メールのプリントアウト、これまで人権教育課から送られてきた文書や

講演に対する礼状やアンケートのコピーなどを添えて、

亀岡市教育委員会竹岡敏教育長にあてた抗議文と質問状を作成した。

抗議文を記載する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2012年1月8日
亀岡市教育委員会
教育長 竹岡 敏 様
フリーライター
社納 葉子

前略

2011年7月12日に私が講師を務めました「人権教育講座」の内容につきまして、

2011年12月29日に「亀岡市教育委員会」からの文書を受け取りました。(添付⑤)

私の講演につきましては、

平成23年7月28日付で竹岡敏教育長名義での礼状をいただきました。

その際、参加者のアンケートも添付いただき、概ね好評をいただいたと安堵しておりました。(添付⑥)
ところが講演から3ヶ月以上も経過した同年11月9日に突然、

人権教育課の○○○○課長より「社納さんの講演に問題があるとの指摘が関係機関からあり、

教育委員会として昨日ちょうど会議をもったところです。時間をつくって、

こちらまで来てほしい」との申し出があったのを皮切りに、

これまでさまざまな経緯がありました。
(添付⑦)

私の講演内容に「問題がある」とのことでしたが、

○○課長は今回の文書で示されるまでは何度お願いしても

一切「問題」の内容を明らかにされませんでした。

再三「まずは文書で”問題”の内容を提示してほしい」と求め、

先述の通り12月29日に受け取ったのが添付⑤の文書です。

しかしながら、文書に回答先が示されておらず、

どのように対応したものか困惑しております。

文書が「亀岡市教育委員会」名義であること、

これまでの経緯から○○課長の対応に大きな不信を抱いていること、

また竹岡教育長様名義の公式な礼状を受け取っていることから、

今後は亀岡市教育委員会を代表する教育長様を

この件のご連絡先とさせていただきますようお願いする次第です。
さて、今回受け取った文書ですが、その内容が理解しかねるものでであり、

あらためてこちらからご確認させていただきたいことがございます。

別紙の質問状にお答えいただきますようお願いいたします。

質問に先立ちまして、3点を確認させていただきます。

まず、問題提起されるのであれば、

私の講演内容を一言一句もらさず文字化したものを提示し、

具体的にどの部分にどのような問題があるのかを示されるのが相当であると考えます。

今回の文書では、ただ特定の方が聞いた印象だけが列挙されており、

回答のしようがございません。

さらに、事実とは大きく異なることが

あたかも事実であるかのように書かれている部分もあります。

あえて真意をねじ曲げたとしか思えないものが

「事実」として流布することは私の今後の仕事にも差し支えます。

今後の対応によっては法的措置も視野に入れざるを得ません。

現在、部落解放運動に長年携わり、

差別問題について熟知している方や法律の専門家に相談にのっていただいております。

最も事実と異なり、私が承服しかねる点は、

私の両親を「障害者差別者」と名指しておられることです。
私は講演で両親を「障害者差別者」だとは申しておりません。

実際、両親はそのような言動は一切おこなっておりません。

行政機関が事実関係も確認せず、

個人を「障害者差別者」と名指すことがあってもよいものでしょうか。

今回送ってこられた文書に関しては全面的に異議を申し立てますが、

特にこの件に関しては厳重に抗議し、即時撤回、謝罪を求めます。

別紙の質問に速やかにご回答ください。

電話での連絡は一切お断りいたします。

平成23年7月28日付で正式な礼状(23教人第1037号)を受け取っており、

その時点で私の役目は果たしたと認識しておりました。

これまでも人権教育課の○○課長には

「教育委員会として正式な文書を出していただきたい」旨を繰り返し申し上げてきましたが、

今後も公式文書での回答、連絡を求めます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この経過を教育長自ら容認しているとは思えなかった。

いや、思いたくなかった。

教育長に届くよう、祈るような思いで

1月8日、教育長あてに配達証明付で送った。

長引くことはまったく望んでいないので、

1月末までに回答をと書き添えた。

 

つづく。

 

 

 

 

 

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